ひとり越境する子供たち 中米3国から急増

ひとり越境する子供たち 中米3国から急増

 1600マイルというから2600キロメートル弱。稚内から那覇まで日本を縦断する直線距離にあたる。ホンジュラスの首都テグシガルバから、グアテマラとメキシコを抜け、アメリカ合衆国の国境にいたる距離でもある。 

2013年10月はじめから9ヵ月たらずの6月半ばまでに、親や成人の同伴者なしにメキシコとの国境を越えてアメリカに密入国した子供が5万7000人に達した。うち4万人近くは13歳から17歳のティーンエイジャー。6歳から12歳の子も6000人を超え、5歳以下の子すら786人を数える(ピュー・リサーチ・センター調べ)。その4分の3はホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの中米3国から来たという。

なぜ?

実をいうと子供がひとりでやって来るのは、いまに始まったことではない。2013年度(2013年9月に終了)にも3万9000人ほどの子供たちが密入国でつかまっている。今年度は人数が急増し、年度末まで3ヵ月以上残っている時点ですでに昨年度全体の1.5倍近い数に達したため、「問題」として浮上した。

真っ先に警鐘をならしたのは国連高等難民弁務官事務所(UNHCR)だ。3月にChildren on the Run (逃亡する子供たち)と題する報告書を出し、アメリカ政府に対して国際的保護の考慮を要請した。 この報告書によると、子供たちがやってくる理由は3つ。ギャングの横行など地域社会の暴力化による死の危険、生き別れになっている肉親との合流、そして貧困だとされている。

生き別れ―「不法移民」とは?

NYタイムズ紙の記事によると、今年、ひとりでやって来て国境でつかまった子供たちのうち、半数は少なくとも片親が、85%は肉親がアメリカに住んでおり7月後半までにはそれぞれ親族に引き渡された。子供たちは闇雲に来ているわけではないらしい。だが親族に引き取られたとはいえ、滞在許可が与えられたわけではない。場合によっては今後何年もかかる審問が始まる。移民法の裁判では刑事とは違い自動的に弁護士がつくわけではない。最悪の場合、引き取り手がなく拘置所にいれられた子供がたったひとりで裁判官と対面する羽目になる。

現在、アメリカには在留許可をもたずに滞在している人が1100万人もいると言われる。また、国境を越えて家族生き別れも例も数多い。どうして、そんなことになったのか?アビバ・チョムスキーの大変わかりやすい解説書Undocumented:How Immigration Became Illegal (『在留資格なし: 移民はいかにして非合法になったか』)を手ほどきにアメリカの移民政策のおおまかな流れをざざっと頭に入れてしまおう。 

「移民の国」を謳うアメリカ。だがその実、長期にわたりそのことばが意味するものは、エリス島から入るヨーロッパからの移民に限られていた。南から来るメキシコ人、西から来る中国人などの非白人は「合衆国市民たりえない外国人」として長らく市民権の対象とはされず、移住労働者として扱われた。 

メキシコとの国境をみてみよう。1846年のアメリカ・メキシコ戦争でカリフォルニアとテキサスがアメリカの領土になった。国境線が勝手に南に動いただけだから住む人たちには以前と何の違いもない。農場主たちは特に収穫期などにはこれまで通り大量の安価なメキシコの労働者を確保する必要があった。アメリカ政府はこういった労働者たちに永続的な在留許可を与えたくなかったから、出稼ぎ季節労働者(ブラセロ)計画を作り推進した。期間限定の滞在許可だ。期限が過ぎても帰らない人たちもいたが、そこはあうんの呼吸。ずるずるのんきにやっていた。 

「不法移民」ということばが俄然、意味をもつようになったのは1965年の改正移民法成立からだと、チョムスキーは言う。公民権運動まっさかりの年に成立したこの法は、従来の移民法の人種的ひずみをただそうと意気込み、移民の自由化をめざした。確かにこの法により、以後、アジア系、ラティノの移民が急増した。しかし、落とし穴もあった。というのも、この移民法では、南北アメリカ大陸および近隣地域からはいって来られる移民の上限数を年間12万人と決めていた。だが、米国社会が低賃金のラティノ労働者を求め続けた。合法的な供給が追いつかなくなったのだ。仕事はある。だが、移民の合法枠には限りがある。一度出国したらまた戻ってこられる保証はない。だったら滞在許可期間がすぎても帰らずにとどまろう、あるいは密入国してでも仕事につきたいという人が増えてしまった。1965年の法はアジアやアアフリカ、中南米から来る人々に合法移民の地位を確立したが、一方でその枠にはまらない「不法移民」を大量に発生させることになった。 

この問題に対処すべく登場したのが、1986年の移民改革統制法だ。レーガン政権の産物であるこの法は、在留資格がないまま一定期間アメリカに居住してきた人たちに合法的移民の地位を与えるという「アメ」に、今後、在留許可をもたない人を雇う雇用主に罰則を課すという「ムチ」の政策を抱き合わせて「不法移民」の一掃をはかった。あわせて、国境の警備も強化した。罰則を課されるリスクを追うことになった雇用主は、その後、雇用条件を一段とさげた。一方、1990年代も後半になるとクリントン大統領がカナダ、メキシコと締結し1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)が、メキシコの農村の経済を直撃した。市場開放と銘打って、政府の補助金をたっぷり受けたアメリカの安価なとうもろこしが、関税なしにメキシコになだれこんだのだ。国内での主要農産物だった主食のとうもろこしが価格競争に負け、それでなくても貧困だったメキシコの農民は暮らしていかれなくなった。労働条件が以前よりさらに悪くなったアメリカだったが、メキシコ人の両親、あるいは片親が子供を置いたままになんとかアメリカにもぐりこみ国に仕送りをする例も増え、家族の生き別れを助長した。

アメリカの主要メディアはいまではもう「不法移民」ということばを使わず、Undocumentedすなわち、在留に必要な書類をもたない人という言い方をするようになっている。法は変わるものだし、「不法」という犯罪性を意味するニュアンスを強調しないという配慮だ。それでもルールはルールだ、現行法に従え、家族の生き別れも法に則って解決すべきだと説く人たちがいる。だが、例えば、こんなケースはどうだろう。 

在留許可をもたないロージーさんと在留許可をもつペドロさんが恋をして結婚し、子供が生まれたとする。子供はれっきとしたアメリカ市民だ。この際、自分も在留許可を申請し合法移民として安心して暮らせるようにしたいとロージーさんは考える。いまやアメリカ市民の母親なのだから、在留許可を認められる可能性は限りなく大だ。ところが、である。このような申請はアメリカではできない。いったん出国して自国で行うことになっている。だが、この申請者の列は往々にして大変に長い。たとえばメキシコの場合、アメリカへの移民希望者が大変に多いため、国に帰ってこの列の最後に着き新たに申請すると、実現までに20年近く待つことも珍しくない。しかも、申請中はアメリカにはいれない。待ちくたびれて、家族に会いたいと密入国を企てつかまり強制送還されようものなら、せっかくあった合法移民への道はほぼ完全に閉ざされてしまう。だったら「違法」のままとどまろうかと思ったとしても不思議はない。 

現職のオバマ大統領は抜本的な移民法改正を唱えてアメとムチの政策を打ち出してきた。だが、これまでのところ、移民受け入れに強硬に反対する海千山千の議員たちのアメの政策には見向きもしない。おかげでムチの政策ばかりがすいすいと先行してしまい、オバマ政権は歴代をしのぐ200万人近くを送還するという記録を作ってしまった。そんな中、移民法改正推進者の多くの評価をなんとか得たのが、2012年に開始されたDACA(Deferred Action for Childhood Arivals)プログラムだ。これは在留許可をもたない若年層の人たちを対象とした措置で、子供の頃、親に連れられてアメリカに来て在留資格をもたないまま育った人たちの救済をめざしている。一定の条件を満たす若者が申請すれば、2年間に限り滞在許可が与えられ、2年後も継続申請が可能だ。期間限定であり政権が変わったら撤回される可能性があるとはいえ、これまでのいつ拘置されても強制送還になっても不思議はなかった若者たちが、とりあえずの恐怖から解放されたのは間違いない。 

だがこの法は、在留許可のない親までは救わない。実際、昨年、アメリカの市民権をもつ子の親なのに強制送還された人の数は7万2000人にのぼった。それでも、今回の中米3国からの子供たちの大量流入をDACAのせいだとして非難する人たちがいる。在留許可のなかった子供や若者に国が甘い顔をみせたため、子供の密入国が増えた、親が送りこんでいるに違いない、というのだ。だが実際にはDACAは、これからやって来る子供たちには適用されない。とはいえ、悪辣な密入国斡旋業者が嘘をつき子供が一旦、アメリカ国内に足を踏み入れれば合法的に在留できるようになったとだまして高い料金であおった例も皆無では無いだろう。だが、中米3国からの「逃亡」の試みアメリカに対してだけ行われているのではない。この3国からメキシコ、パナマ、ニカラグア、コスタリカ、ベリーズに亡命を申請した人の数は前年の5倍を記録した。人が逃げだしたがる何かが起きているとみて間違いない。

「死の列車」に乗って

 

ところで、子供たちは、時には何千キロにもなる道程をいったいどうやって旅するのだろう。そのヒントを与えてくれるのが、ソニア・ナザリオの著Enrique’s Journey(『エンリケの旅』)だ。ピュリッツァー賞を受賞した記事をもとに書籍化されベストセラーになったこのノンフィクションの主人公は、ホンジュラスの17歳の少年エンリケだ。アメリカに住む母親に会いたい一心で、追いはぎや警察の目をくらませながらの危険な旅に出る。ナザリオのすごいところは、聞き語りで終わらなかったところだ。この女性ライターは、エンリケの話を検証するためにホンジュラスに赴き、エンリケと同じ旅路をたどり、同じ体験を試みたのだ。物語のハイライトは、メキシコを縦断する貨物列車での旅。スペイン語で「ラ・ベスティア」、英語では「ビースト(獣)」あるいは端的に「死の列車」と呼ばれる。料金を払わない無賃乗車だから、警察や鉄道関係者の目にとまってはまずい。走り始めた列車に飛び乗ったり、停車前に飛び降りたり。事故で手足を失ったり、命を落とすことも少なくない。そのうえ、守ってくれる者もない逃亡者たちをえじきにしようと狙う一味もいる。 

こうして子供たちが列車、あるいは場合によってはバスを乗り継いでメキシコの北端にまでたどりついても、国境越えが待っている。リオグランデ川や砂漠を歩いてわたるため、多くはコヨーテと呼ばれる密入国斡旋業者の力を借りるが、ギャングが徘徊しているし、人身売買の危険も多い。砂漠には飢えや渇きのほか、ヘビや野生の動物もおり、おとなでも毎年、何百人かの死者を出している。だが、それでもやって来る子供たちの多くは本国にとどまっても暴力や死の危険にさらされている場合が少なくない。だからこそ国連も、難民扱いにしてほしいと特別な人道的配慮を求めているのだ。では、中米3国で子供たちは、いったいどんな危険に直面しているのだろう?

帝国の収穫

デモクラシー・ナウ・ジャパンの共同司会者であるフアン・ゴンザレスにHarvest of Empire(『帝国の収穫』)という名著(ドキュメンタリー映画も作られた)がある。移民の流れはアメリカの歴史と、きっても切れないつながりがある。特にラティノの場合、先述のNAFTAとメキシコの関係でも明らかだが、ひと昔前、冷戦下のアメリカの中南米への介入も大きく、いまだに尾を引いている。アメリカの利害のために、市民の暮らしに目を向けた他国の進歩的な政権を倒し、暴力的な軍事政権を支援し、内乱を引き起こして人々の暮らしを破壊した。帝国アメリカがまいたこうした種が、移民という収穫物を生んだのだと、ゴンザレスは指摘する。移民の大量流入をアメリカ経済に負担をかけると文句を言うのなら、国境の向こうで自分たちが一体何をしてきたのか、歴史のダイナミズムの中で考えるべきだ、種をまいたのだがら、収穫の面倒もみようよね、とゴンザレスは示唆しているのである。 

7月末、ワシントンでオバマ大統領とグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスの首脳がひざつきあわせてとっても茶番な会合が開かれた。席上、オバマは、子供たちが逃げてこないよう本国側で対策を立ててほしいと呼びかけた。これに対して、3国の首脳は口をそろえて、反論した。お言葉ですがうちらの国がこんな悲惨な状態になったのは、アメリカのせいじゃないですか。冷戦下で中米はアメリカの反共作戦の影響をもろに受け国内が軍事戦闘下に置かれ、疲弊した。現在の麻薬戦争もアメリカがらみの問題だ。アメリカは国境警備の強化に膨大なカネを注いでいるが、その一部でもうちらへの開発支援金に上乗せしてもらえれば、子供たちの逃走の根本原因である貧困に対処できる、と言いつのったのだ。これだけ聞けば、ゴンザレスの論につながるし、しごくごもっともに思える。だが問題は、この正論をはいたのが誰か、である。 

まずは、グアテマラのオットー・ペレス・モリナ大統領。1980年代の内乱時代には自国民の組織的な拉致、拷問と集団虐殺に直接関与した人物として知られている。国民を脅かし、国外への逃亡の原因を作った張本人なのである。 

この内乱と軍事テロを逃れてグアテマラを去りアメリカに住み着いた人たちやその子供の中からやがて、ロサンゼルスなどの大都市でストリートギャングとなるものが生まれ、以前からいたメキシコのギャングとの抗争で暴力に磨きをかけた。こうしてアメリカで犯罪者としてのしていた連中が強制送還され、グアテマラで新たにシマを作った。腐敗した軍や警察はそれを野放しにしてきたばかりか、麻薬取引に関与する場合も少なくない。ストリートギャングのメンバーは近所の子供たちにドラッグの販売を手伝わせようとし、言うことを聞かなければ家族を誘拐するぞと脅したり、女の子たちをレイプしたり、やりたい放題だ。子供たちは、ストリートギャング、警官、兵士、ドラッグカルテルによる暴力に囲まれて生きる。法執行当局による保護なんてあてにできない。自らギャングになるか、おカネを払って誰かに身を守ってもらうしか、生き延びるオプションはないのだと、ニューリパブリック誌の最近号の記事が伝えている。 

エルサルバドルはどうだろう。現政権の顔ぶれを見る限りでは、この国の首脳はほかの2国に比べてずいぶんとまともだ。この国も最近までは独裁政権やクーデターに苦しんだ。特に1970年代以降、アメリカの支援の下で極右勢力のテロが吹き荒れ、「汚い戦争」が公然と展開された。が、2009年に、かつての左翼ゲリラ組織ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)が擁した元テレビ・レポーターのマウリシオ・フネスが大統領に当選し、以来、変革が始まった。だが、ポピュリストのこの政権を、当然ながらアメリカは好まない。世銀も気にくわない。エルサルバドルは、世銀が毎年作成する「ビジネスをしやすい国(Ease of Doing Business)」ランキングで2007年には75位(175国中)だったが2014年には118位(189国中)に転落し、外国からの投資は底冷えしている。 

そんな中、エルサルバドルでもアメリカ帰りの凶悪なストリートギャングがのしている。おまけに、ストリートギャングの縄張りに出向き、ティーンエイジャーたちを殺しのターゲットにする「ソンブラ・ネグラ(黒い影)」までいる。マスクをして出没するので正体がつかみにくいが、この暗殺集団のメンバーは現役の軍内極右、保守反動派、退役軍人、予備役兵、現役警官などだと言われている。この集団、かつては労働組合構成員や左派の学者、医者、弁護士、学生、農民、神父、尼僧、ジャーナリストなど多岐に渡る市民を暗殺していた右翼武装団の流れを汲んでいる。いまでは社会のゴミを自らの手で成敗すると称しているそうだが、どっちがゴミだか。

そしてホンジュラス

ウェブマガジンPolitico デイナ・フランクの記事より

 ウェブマガジンPolitico デイナ・フランクの記事より

 

そして、真打ちとも言えるホンジュラス。この国では2009年に富裕層が糸を引き国会と軍がぐるになって中道左派のセラヤ大統領をクーデターで追い落とした。アメリカ好みの新政権が誕生し、2004年に締結済みだったCAFTA(中米自由貿易協定)が軌道に乗り、世銀やIMFを介して新自由主義がすいすいと進行中だ。民営化が進み、国内の中小企業がアメリカのアグリビジネスなどとの競争を余儀なくされる一方で、公共セクターの仕事は無くなり、社会福祉サービスも削減された。 

そんな中で、軍警察はもとより、検事や判事までもが、政界・財界のエリートや地元有力者に飼い慣らされて腐敗し、歯止めのない暴力が横行している。デモクラシー・ナウ!にもゲスト出演したカリフォルニア大学歴史学教授のデイナ・フランクによると、闇の世界で怪しげなカネが流れ、警察もその恩恵を受けている。2013年まで警察の長官だった「トラ」というあだ名をもつフアン・カルロス・ボニーラは、かつては暗殺団のメンバーとして、殺しを請け負っていた人物だ。今年5月にも警察は議事堂を包囲し中道左派の現役の野党議員に殴る蹴るの乱暴狼藉を働き、催涙ガスで攻撃し、議事堂から追い出すという「快挙」を平然とやってのけた。 

中南米4ヶ国でホームレスや、人身売買、その他の搾取にあった子供たちに食糧やシェルターを提供するサービスを行っている非営利団体Casa Alianza(カサ・アリアンサ)によると、ホンジュラス軍警察は、「社会浄化」と称して子供たちを殺す暗殺作戦を展開し、地域社会住民を恐怖におののかせている。にも関わらず、アメリカはヘルナンデス現大統領が大好きだ。麻薬戦争でめざましい成果をあげたとして大統領をもちあげ、最近も、子供たちがアメリカにやってこにやってこないための対策に使うようにと腐敗のきわみにあるホンジュラス警察に1850万ドルの追加支援金供与を決定したばかりだ。アメリカの国策にへいへい追随している限り、USAIDSはじめ、さまざまな援助がころがりこみ、特定の勢力は潤うが、搾取されることを厭う人たちの暮らしは危険に満ちたものになっている。

進む国境の軍事化

信じがたいことだが、1940~50年代には、アメリカの国境パトロールを担当するエージェントは全米でわずか1100人しかいなかった。それがいまでは国土安全保障省の税関・国境取締局(CBP)は6万人のスタッフを擁している。9.11同時多発テロ事件に創設された国土安全保障省は、アクティビストを監視し、自前の拘置所を備え、2億6000万弾もの武器弾薬を持っている。国土安全保障省のオフィサは米軍の兵士に比べて一人頭4倍から5倍近くも多い弾薬を与えられている計算になるという。 

CBPの管轄区域は広い。米国南北の国境線からそれぞれ100マイル(約160キロ)までの地域が「国境線」とされ、管理の対象になる。広大な「国境線」にはハイテク設備を備えた監視タワーや検問所が置かれ、レーダーシステム、無人機などを備えた武装化が進み、軍需・監視産業にとって嬉しいお得意様になっている。CBPの管轄区域は、人呼んで「憲法不在ゾーン」。地域警察とも連携し、ハイウェイやたまり場などで抜き打ち検問が始終行われ、在留許可をもたない人はもちろん、市民の人権を脅かしている。特にラティノはたとえ市民権や永住権をもっていてもつねに疑いの目で見られ、暮らしが不便かつ不快になりかねない。 

逃げてくる子供たちに対して同情するアメリカ人もいれば、敵意剥き出しの人もいる。テキサス州リーグ市では、在留許可をもたない子供をひとりたりとも市の境界線内にいれないという条例を早々に可決した。カリフォルニア州マリエータ市では子供数十人も含めた拘置中の人々を乗せ市内にある連邦政府の移民収容施設に向かっていたバス3台を、市の警察の車が行く手をはばんで立ち往生させた。バスの周りには移民反対派住民や外部からやって来たネオナチ系アクティビストがおし寄せてヘイト剥き出しの罵倒雑言を浴びせた。警察もグルという所が、公民権運動時代の南部をほうふつさせ、対象が黒人からラティノに変わったものの人種差別の根の深さを象徴している。 

さて、7月には大きな話題だった「逃げてくる子供たち」問題だが、8月も半ばになるといったんおさまりをみせている。連邦議会が夏休みにはいり、対策をめぐりぶつかりあっていたオバマ大統領と議員たちとの攻防がとりあえず、9月までお預けになったことが、ひとつ。もうひとつには、やってくる子供たちの数自体が減少したためだ。何が起きたのか?どんな手が「効果」をあげたのか?出された最も有力な答は、暑さ。アメリカ政府やテキサス州が注ぎ込んできた総額数億から数十億ドルもの最新機器ではなく、子供たちの足を止めたのは国境付近に拡がる砂漠の渡航をひときわ困難にする真夏の太陽だった。 

(大竹秀子)

参考セグメント

  • 「移民が非合法になった経緯」 アビバ・チョムスキー 米国の移民労働者搾取を語る(2014.05.30)
  • 逃げる子供たち:安全と家族との再会を求める未成年入国者を拘禁する米国(2014.06.13)
  • 反移民抗議は「米国精神の面汚し」 子供たちを難民として処遇せよ(2014.07.11)
  • グアテマラやホンジュラスの社会危機の種をまいた米国、彼の地からの児童移民を拒絶(2014.07.17)

参考動画

  • 「ノーモア・デス」国境をわたる難民に、保護を与えるのは重罪か 前編(2007.04.23)
  • 「ノーモア・デス」国境をわたる難民に、保護を与えるのは重罪か 後編(2007.04.23)
  • NAFTA見直しの公約を反故にするオバマ大統領(2009.08.11)
  • 『帝国の収穫』 フアン・ゴンザレスが詳細に描く米国ラティーノの歴史(2011.05.25)
  • 映画『帝国の収穫』で見る米国と移民の「切っても切れない関係」(2012.09.25)
  • 米支援のエルサルバドル軍によるイエズス会司祭6人の殺害から20年(2009.11.20)
  • グアテマラ次期大統領オットー・ペレス・モリナの過去(2011.09.15)
  • ホンジュラスのクーデターの背景をたどる(2009.07.01)
otakeh
AddToAny buttons: 
共有します