『戦争の身体』~(1) イラク傷痍軍人トーマス・ヤングの反戦運動を描く映画
11月11日は米国の「退役軍人の日」(Veterans Day)。第2次大戦後ずっと、休むことなく戦争を続けてきた米国は、現在900万人近くの退役軍人を抱えています。帰還兵の多くが身体や精神に深い傷を負い、困難な人生を送っています。特にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱える兵士が増えていますが、退役軍人省はとても手が回らず十分な対応ができていません。医療体制の破綻で診察待ち患者が激増し、アリゾナ州の退役軍人病院では40人近い患者が診察待ち期間に死亡していた疑惑が浮上し、シンセキ退役軍人省長官の辞任に発展しました。
自殺者も急増しており、2012年には、ほぼ一日に18人が自殺を図り、うち1人が亡くなっています。自ら命を絶つ兵士の数が、戦場で死亡する数を上回っているのです。(戦争の見えない傷:自殺兵の数が過去最高を更新)アーロング・ランツ記者によれば、対応しきれなくなった陸軍病院では様々な精神疾患や身体疾患を抱える患者に、治療の代わりにモルヒネ、オキシコドン、メサドン、ハイドロコドンなどの鎮痛剤を大量に処方しています。まるで麻薬ディーラーさながらに彼らを薬づけにしているわけで、自殺者の急増もそこに一因があるのかもしれません。(薬漬けの米帰還兵:鎮痛剤の濫用で退役軍人局が「ご贔屓のドラッグディーラー」に)
こうした帰還兵の悲痛な境遇を体現する人物トーマス・ヤングが、退役軍人の日の前日、妻に看取られてひっそりと亡くなりました。イラクで負傷し、半身付随になりながらも薬物中毒から立ち直り帰還兵の反戦運動に身を投じた活動家です。彼を描いた2008年のドキュメンタリー映画Body Of War (『戦争の身体』)は大きな話題になり、他の帰還兵たちよりも脚光を浴びましたが、背後には同じような悲劇が無数に存在します。日々の生活の格闘から遂に力尽きるまでの彼の人生の軌跡は、9.11事件後の世界で戦争に突き進んだ米国の悲劇をきれいになぞっています。
映画のあちこちに挿入されて効果を挙げているのが、2002年10月に米国の上下両院で行われたイラク開戦決議の記録映像です。ブッシュ大統領にイラクでの武力行使の権限を与えたこの決議は、上院議会では賛成77、反対23という結果になりました。愛国と復讐に燃える熱狂モードの中で、あえて踏みとどまろうとした上院議員が23人もいたことを、米国は誇らしく記憶してよいかもしれません。反対派を結集したロバート・バード議員は上院の長老で法案投票数の最多記録保持者ですが、自分の長い議員人生で最も誇らしい投票が「イラク戦争反対」だと述べています。若者たちを戦場に送り出し、国のために殉じよと要求することになる投票ですから、すべての議員が責任の重さを厳粛に受け止めて行動すべきです。でもそのようにふるまう議員は、米国でもめっきり少なくなったようです。
この映画が封切られた2008年は大統領選挙の年でした。レームダックとなったブッシュ大統領と共和党に対し、戦争屋はもうたくさんだと訴える反戦活動が大きな盛り上がりを見せました。そうした市民運動の熱い期待を受けて登場したオバマ大統領は、イラクとアフガニスタンからの撤退を約束しました。折からのサブプライム危機で金融業界も弱体化し、すべてを大きく変えるまたとない政治的チャンスだったのです。でも、その期待はどんどん裏切られ、ついにオバマ大統領は撤退したはずのイラクで空爆を開始し、米兵15000人の増派を承認すると発表しました。
トーマス・ヤングも元気に活動していたのは束の間で、やがて両腕が動かなくなり、言葉も不明瞭になり、激痛に悩まされ、合法的なマリワナ療法を受けるためオレゴンやシアトルに移り住み、2003年にはもはや生命維持の努力を放棄すると宣言して支援者を驚かせました。トーマスが息を引き取ったのは、オバマがイラク派兵を発表した数日後です。いま改めて2008年の映像を見ると、なにやらまぶしすぎるように見えてしまう。でも、この6年間で日本の現実は一気にここに近づきました。すぐそこの未来が、これなのかもしれません。(中野真紀子)
☆動画の10分ぐらいのブレイクに、バフィー・セントメリーがライブで歌う名曲ユニバーサル・ソルジャーが入っています。とっても好きな曲、すばらしい歌詞。
*フィル・ドナフュー(Phil Donahue) 米国のテレビ史に残る著名なトーク番組ホストで、29年間もつづく長寿番組のホストを務めた。引退の後、2002年にMSNBCで放送に復帰したが2003年イラク開戦の直前に、反戦の主張を放送したために解雇された。Body of Warの共同制作者、監督
*エレン・スピロ(Ellen Spiro) 映画作家。Body of Warの共同制作者、監督
*トーマス・ヤング(T Tomas Young, )イラク帰還兵、ドキュメンタリー映画Body of War(『戦争の身体』)の主人公。2004年4月、イラク着任5日目にバグダッド近郊のサドル・シティで銃撃を受け、下半身マヒの重傷を負った。退院後、母親の看護のもとで「反戦イラク帰還兵の会」(Iraq Veterans against War)の活動に参加
字幕翻訳:田中泉 / 校正:斉木裕明/ 全体監修:中野真紀子