メディア

2018/12/5(Wed)
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24分

米国の戦争プロパガンダを大きく進化させた、1991年の湾岸戦争をふりかえります。湾岸戦争は故ジョージー・H.W.ブッシュ大統領の負の遺産の一つです。形式的には1カ月で終結しましたが、米国のイラクへの攻撃は継続しています。50万人以上の子供が死んだとされる過酷な経済制裁のあげく、2003年に息子のジョージ・W.が再び軍事侵攻し、現在でも米軍や軍事請負業者が駐留しています。でも、湾岸戦争で注目されるのは、米国民に向けた大胆なプロパガンダです。ベトナム戦争の記憶がまだ残り、軍事介入に懐疑的な世論を転換させるため、ブッシュ政権は大芝居を打ちました。ナイラというクウェート人の少女を使って、サダムの軍の残虐行為を米国議会で証言させたのです。兵士が保育器の赤ん坊を殺したと証言したナイラは、じつは難民どころかクウェート大使の娘で、広告会社に振り付けされて真っ赤な嘘をついていたことが後に判明しました。しかし、当時はマスコミも国際人権団体も無批判にこれを喧伝し、軍事侵攻に議会の支持を取り付ける決め手となりました。

2015/11/19(Thu)
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27分

11月13日金曜日に起きたパリの襲撃で、世界が一気にキナ臭くなってきました。フランスのムスリムたち1月のシャルリエブド襲撃事件に続いて再びイスラム憎悪の高まりに怯えています。各国で移民への反感も露骨になってきました。フランスでは非常事態が宣言され、デモも禁止されています。欧米諸国はここぞとばかりに防衛と監視の体制を強化し、イスラム国に空爆で報復していますが、そんなことではテロ根絶どころか民間人の犠牲がテロに拍車をかけるだけで、喜ぶのは軍需産業だけです。グレン・グリーンウォルドは、現在の異様に好戦的な空気は2003年にブッシュ政権がイラクに侵攻したとき以来のものだと懸念します。(27分)

2012/1/12(Thu)
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32分

ブッシュ政権からオバマ政権にかけて約10年間、連邦通信委員会(FCC)委員を務めたマイケル・コップスが、この10年で大きく変化した米国のメディア環境について語ります。(32分)

2011/7/21(Thu)
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34分

ルパート・マードックのメディア帝国に逆らえば当選できないと悟った始めての英国首相は、マーガレット・サッチャーだったと言われます。遠路はるばるオーストラリアまでご挨拶に出向き、マードック氏の新聞サン紙を手にチェシャ猫のような笑顔で写真に収まったトニー・ブレア、おそらくやばいことになるとわかってはいながら、盗聴や賄賂による取材にまみれたマードック帝国の元編集幹部を広報担当者として雇わざるをえなかったキャメロン。マードック盗聴スキャンダル暴露の渦中にリリースされた、このウェブエクスクルーシブ・セグメントの中で、ゲストでアルジャジーラのメディアウォッチ番組「リスニングポスト」の司会者、リチャード・ギズバードは、マードック帝国に戦々恐々とする歴代の首相の姿を語っています。(34分)

2011/7/21(Thu)
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19分

2011年7月に英国を揺るがしたマードック帝国スキャンダル事件。だが、この事件が国をあげての調査と告発の対象になるまでには、3年間にわたる事件記者の地道な調査活動が必要だった。書かれた記事は、75本。英ガーディアン紙で仕事するニック・デイビス記者の快挙だった。(19分)

2011/10/13(Thu)
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43.5分

デモクラシーナウの共同司会者フアン・ゴンザレスが、数年間にわたる調査を経てメディアに関する画期的な新著を共著で刊行しました。News For All the People: The Epic Story of Race and the American Media(『すべての人々のためのニュース 人種と米国メディアのかかわりについての壮大な歴史物語』)は、米国における人種偏見の持続にメディアが中心的な役割を果たしてきたことを検証します。 白人所有のメディアにはびこる悪質な人種差別に挑戦した黒人、ラティーノ、アメリカ先住民、アジア系アメリカ 人など非白人の先駆的なジャーナリストたちの生涯という、これまでほとんど語られることのなかった歴史を掘り起こします。(44分)

2011/7/6(Wed)
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55分

2010年12月ロンドンの監獄からは保釈されたものの、以来ずっとノーフォークの邸宅に軟禁状態に置かれてきたジュリアン・アサンジが、スウェーデンへの身柄引き渡しに抗告する上訴審を間近に控えた7月2日、初めて公開の場に姿を見せました。スラヴォイ・ジジェクと長時間の対談を行い、司会はエイミー・グッドマンという、たいへんに珍しいイベントです。会場を提供したフロントライン・クラブは、最前線で命を落とした戦争ジャーナリストを記念して設立された団体です。二時間に及ぶ興味深い対話を2回に分けてお送りします。(55分)

2011/7/5(Tue)
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再生時間: 
45分

2010年12月ロンドンの監獄からは保釈されたものの、以来ずっとノーフォークの邸宅に軟禁状態に置かれてきたジュリアン・アサンジが、スウェーデンへの身柄引き渡しに抗告する上訴審を間近に控えた7月2日、初めて公開の場に姿を見せました。スラボイ・ジジェクと長時間の対談を行い、司会はエイミー・グッドマンという、たいへんに珍しく興味深いイベントです。主催のフロントライン・クラブは、最前線で命を落とした戦争ジャーナリストを記念して設立された団体です。二時間に及ぶ興味深い対話を2回に分けてお送りします。(45分)

2011/4/8(Fri)
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14分

過激な発言で知られる米国の保守系トークショー・ホスト、グレン・ベックがついに番組を降板しました。この有名ホストの降板劇には、団体「カラー・オブ・チェンジ」が展開した経済ボイコット運動が大きな役割を果たしたといわれています。

「カラー・オブ・チェンジ」の取った方法は企業に対する番組のボイコットの呼びかけでした。しかし企業がそんなに簡単に番組を降りるものでしょうか?それがそうなったのです。2011年4月にボストンで行なわれたメディア改革全国会議で、「カラー・オブ・チェンジ」代表ジェイムズ・ラッカーがその秘訣を明かします。ジェイムズ・ラッカーはまた、「大衆の力が違いを生むことのできる場所をつくり、人々をつながらせることが必要です。それには誰でもそこにアクセスできることが必要なのです」とネットの中立性の重要性を強調します。

2011/2/1(Tue)
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14分

エジプトの民衆革命をライブ放送で伝え、一躍その存在感を高めた中東の放送局アルジャジーラ。タハリール広場からの中継にはネットからも視聴者が殺到し、しばしばダウンしました。通常のアクセスの25倍に跳ね上がったそうですが、その6割は米国からのものだったそうです。アルジャジーラの英語放送は世界中の2億世帯にとどくのに、米国ではほとんどの商業放送から排除されており、首都ワシントンを除いて視聴できる地域はほんの数ヵ所です。エジプト当局がアルジャジーラのアラビア語放送を弾圧したことは論議を呼びましたが、米国でもアルジャジーラは視聴できず、結果的に「報道管制」ではないかと批判されています。米国でのアルジャジーラ不振の理由について、同局の営業戦略顧問トニー・バーマン氏に聞きます。

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