湾岸戦争と米国の戦争プロパガンダ機構の進化

2018/12/5(Wed)
Video No.: 
2
24分

米国の戦争プロパガンダを大きく進化させた、1991年の湾岸戦争をふりかえります。

湾岸戦争は故ジョージー・H.W.ブッシュ大統領の負の遺産の一つです。形式的には1カ月で終結しましたが、米国のイラクへの攻撃は継続しています。50万人以上の子供が死んだとされる過酷な経済制裁のあげく、2003年に息子のジョージ・W.が再び軍事侵攻し、現在でも米軍や軍事請負業者が駐留しています。でも、湾岸戦争で注目されるのは、米国民に向けた大胆なプロパガンダです。

ベトナム戦争の記憶がまだ残り、軍事介入に懐疑的な世論を転換させるため、ブッシュ政権は大芝居を打ちました。ナイラというクウェート人の少女を使って、サダムの軍の残虐行為を米国議会で証言させたのです。兵士が保育器の赤ん坊を殺したと証言したナイラは、じつは難民どころかクウェート大使の娘で、広告会社に振り付けされて真っ赤な嘘をついていたことが後に判明しました。しかし、当時はマスコミも国際人権団体も無批判にこれを喧伝し、軍事侵攻に議会の支持を取り付ける決め手となりました。

ベトナム戦争を本格介入に導いたトンキン湾事件も嘘でしたが、ここまでのフェイクは初めてだったとゲストのリック・マッカーサーは云います。このときから戦争プロパガンダが新ステージに進化したと言えるでしょう。

「従軍取材」の端緒もここにありました。ベトナム戦争では記者が自由に戦場を動き回って取材し、生々しい戦争被害の映像が米国内のメディアに流れました。これが国民の戦意をしぼませ、戦争に敗ける要因になったと主張する人々も出てきました。そこで湾岸戦争では軍が大手メディアと協定を結び、戦場の取材を完全に管理下に置いたのです。リック・マッカーサーによれば、各社が共同派遣する記者たちの代表が、軍にエスコートされて最前線で取材し、その報告が、軍の検閲を通した後で、他の記者たちと共有され、プレスセンターに集まる記者たちが一斉に各自の記事を書くというスタイルで、取材競争などありません。これでは戦場の現実は何もわかりませんが、大手メディアの多くは抗議しませんでした。

その一方で、軍は衛星放送など当時の最先端のメディア技術をつかって戦争の様子をライブ放送しました。国民はテレビ映像で米軍精密誘導爆弾の威力を見せつけられ、多国籍軍司令官のシュワルツコフ将軍が頻繁に開く「記者会見」で戦況の説明を受けました。こうしてつくり上げられた「クリーンなハイテク戦争」という虚構のイメージに、戦場を見ていない記者たちは太刀打ちできませんでした。

最新メディア技術を駆使して戦争の印象を操作し、民主政権の転覆や侵略を国民に喝采させる技をきわめた米国。いまではSNSも加わって、フェイクニュースが飛び交う中で軍事侵攻の是非が語られるようになってしまいました。(中野真紀子)

*ジョン・リック・マッカーサー(John R. MacArthur):ハーパーズ誌の発行人。Second Front: Censorship and Propaganda in the Gulf War(『第二の前線:1991年湾岸戦争の検閲とプロパガンダ』)の著者

Credits: 

字幕翻訳:デモクラシー防衛同盟 千野菜保子・仲山さくら・水谷香恵・山下仁美・山田奈津美 / 全体監修:中野真紀子