怯えるフランスのムスリム 『シャルリエブド』襲撃後に高まるイスラム憎悪

2015/1/9(Fri)
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年明け間もなく飛び込んできたフランスのシャルリエブド社襲撃のニュースは、「イスラム国」(ISIS,ISIL)の台頭が関心を集めていた時期でもあり、世界を震撼させました。「ホームグロウン・テロ」(自国民によるテロ行為)であったこと、メディアが標的になったことも衝撃的でした。

日本では単に、フランス社会に溶け込めない移民の若者が、鬱屈を晴らすため過激思想に傾倒した上での犯行、という表層的な報道しかされなかった襲撃事件。一般のモスリムの声として紹介されるのは「テロは許されない、イスラムの教えに反する」というお定まりのパターンばかりでしたが、こちらのインタビューでは、フランスのモスリム社会内部からの視点で歴史的背景など重要なポイントを踏まえ、より深い内容となっています。

ジルベール・アシュカル、エル・ハウアの両氏とも、フランスには本当の意味での表現の自由がない、宗教によって「差別」があると言っています。

日本では、宗教には尊厳があり、簡単に卑しめるべきではないという感覚がありますが、フランスでは、かつて王権が宗教と密接な関わりがあったという理由で、宗教は権力と同様に風刺や批判の対象であり、タブーはあるべきではないという考え方が伝統的にあるようです。

その一方で、ある民族や集団への憎悪を煽ったり侮辱するような言動には「人種差別, 反ユダヤ主義その他の排外主義的行為を抑圧するための法律」(ゲソ法)によって法的な制限があります。法律名に明記されているように、反ユダヤ的な言動、例えばホロコーストの否認はもちろん非難や刑罰の対象になり、ある種の「特別扱い」であることがわかります。その理由は、第二次大戦中のヴィシー政権時フランスがユダヤ人の迫害を行ったことへの罪悪感、いわば「罪滅ぼし」なのです。

襲撃事件の後、「表現の自由を守る」として多くのフランス人がデモ行進をしましたが、「条件付きの」表現の自由、であることを彼らは自覚していたでしょうか。

フランスにはヨーロッパ最大数のモスリム(イスラム教徒)が居住していますが、その多くは旧植民地の出身者(の二世、三世)です。以前より差別的な扱いを受けてきた彼らにとって、今回の襲撃事件がさらなる差別、排斥を受ける契機となることを恐れています。この問題には、フランスの植民地支配の歴史が深く関わっています。

インタビューの中で触れられている「2005年の法律」とは、旧植民地アルジェリアと関係ある法律です。

アルジェリアはフランスにとって特別な場所でした。1830年から130年もの長きに渡って植民地として支配し多数のフランス人が入植し、そこが父祖の地となった者(コロン)も多くいたのです。そのため、1954年に民族自決の流れの高まりから独立の動きが出た際、他の植民地とは異なり、フランス政府はアルジェリアと徹底的に戦うことを決定。8年余りにわたって、フランス人とアルジェリア人のみならず、独立を求めるアルジェリア人とフランスに徴用されたアルジェリア人(アルキ)、泥沼化した戦いに嫌気がさしたフランスが独立を認めてからは、すでにアルジェリアに根ざしていたコロンと政府軍、が入り混じって戦うという複雑かつ凄惨な戦争となったのです。

アルジェリアは独立を勝ち取りましたが、両者ともに深い傷を負いました。その中で特に悲惨だったのはアルキで、アルジェリアに残ったものは裏切り者として迫害を受け、難を逃れるため「味方」のはずのフランス本国に渡ろうとしても、当初は簡単に入国を認められないという冷たい仕打ちを受けました。その後「引揚者」として国籍を得ても、フランス社会からは受け入れられず評価もされないという境遇を甘受するよりほかありませんでした。

フランス政府は戦争終結後、アルジェリア独立戦争に対して「忘却政策」を採っていましたが、引揚者、特にアルキに対して正当な評価と感謝を表すべきという世論が盛り上がりを見せるようなりました。その過程で、アルジェリア支配の「自虐史観」への反動としてフランスが植民地で行ったのは必ずしも悪行ばかりではない、経済的にも教育的にも、プラスの面があったはずだといった主張も一定の勢力を待つようになっていました。そこで、本来ならアルジェリアからの引揚者への精神的・金銭的弁済のためであった法律に、第4条「フランスの海外での肯定的役割を特に教える」という項目(大学教育においてが第1項、高校以下が第2項)が入り込むことになり、この法律は2005年2月に公布されます。

当然のことながら様々な方面から批判や反発を受けますが、その中で生まれたのがエル・ハウア氏が参加する「共和国の原住民」運動で2005年1月に発足、のちに正式な政党となります。

こうした流れの中で、10月には北アフリカ出身の若者が警察に追われ変電所に逃げ込み死亡したことを発端として「郊外暴動」が起きます。暴動に参加した多くの若者たちを「社会のクズ」と呼んだ当時のサルコジ内相もまたハンガリー移民二世であることは、フランス社会の複雑な構造を改めて示すことになりました。
結局、歴史学者や、アルジェルアをはじめとする旧フランス領などからの反発や抗議で、高校以下での植民地支配肯定教育を徹底させる第4条2項は、公布から1年ほどで廃止とされました。

しかし、この条項がどれほど植民地出身の人々を怒らせ傷つけたのかは、アシュカル、ハウア両氏が言及していることからも想像に難くありません。

また、シャルリエブド紙のがモスリムを卑下して描くだけでなく、イスラム嫌悪を煽るという役割を果たして来たことも、特にそれが顕著になったのは911以降であったことも見過ごされるべきではない、と両氏は訴えています。(仲山さくら)

*ムハンマド・エル=ハウア(Muhammad El Khaoua) パリ政治学院で国際関係学を学ぶムスリム二世。パリ郊外で育ち、さまざまな市民組織にかかわった。その一つ、サラーム(Salaam)は、宗教間の対話を促進しイスラム理解を深めることを目的とした学生組織。

*ジルベール・アシュカル(Gilbert Achcar)ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)教授。レバノン系フランス人。マルクス主義やオリエンタリズムの多数の著書があり、新著は、Marxism, Orientalism, Cosmopolitanism and The People Want: A Radical Exploration of the Arab Uprising。

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字幕翻訳:朝日カルチャーセンター横浜 字幕講座チーム
富岡由美・長沼美香子・仲山さくら・西田優子・水谷香恵・山下仁美・山根明子・渡邊美奈