TPPの本当の危険:トランスカナダ社がパイプライン却下で米国に損害賠償を請求 WTO敗訴で精肉の産地表示も撤回

2016/1/7(Thu)
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カナダに本社を置くエネルギー企業大手トランスカナダ社が、カナダ・米国間の石油パイプライン建設を認めない決定は不当であるとして、米国政府を提訴しました。この米国政府の決定は、気候変動対策を求める数十年にもわたる草の根運動に後押しされたオバマ大統領が大統領権限で実行したものでした。もし今回の決定が覆されると、米国の気候変動対策は大きく後退することとなります。一方、トランスカナダ社は、パイプラインの建設が認可されない場合、パイプラインの建設費用のみならず、投資によって将来得られたであろう利益も含めた150億ドルの賠償を要求しています。

なぜ外国の一企業や一投資家が、主権国家による公衆衛生や環境保護など公共の利益のための政策に対し、異議を申し立てられるのでしょうか?このような企業や投資家と国家との紛争は、どこでどのように解決されるのでしょうか?また、政府が負けた場合、私たちの生活にどのような影響が起こりうるのでしょうか?これらの問いについて、『ファストトラック貿易権限の盛衰』の著者であり、米国NGOパブリック・シチズンのロリ・ウォラック氏にうかがいます。

ウォラック氏は、今回のトランスカナダ社のような外国企業による政府の政策に対する異議申し立てを可能にするのは、北米自由貿易協定(NAFTA)をはじめとする自由貿易協定に含まれる、投資家対国家紛争解決条項(ISDS条項)であると説明します。従来、貿易に関する紛争解決は国家間で扱われてきましたが、ISDS条項は投資を行う投資家や企業と、その投資の受け入れ国との間での紛争解決も可能にします。

ウォラック氏は、また、ISDS条項が定める紛争仲裁制度の問題点も指摘します。紛争の仲裁人は、通常、国際法に通じた専門家たちから選ばれますが、その仲裁人たちの公平性や中立性には大きな疑問符がつきます。なぜなら、仲裁は実際のところ非常に限られた法律家たちの仲間内で扱われているためです。同じ人間が、ある日は企業や投資家側の弁護を行い、別の日は裁判官を務めることもあります。そして、仲裁人の決定が第三者によって審査し直されることはありません。また、賠償金の上限も決められていません。

もし政府が裁判に敗れた場合、その政策を諦めるか、多額の賠償金を払わされることになります。この賠償金は私たちの税金で支払われることになるでしょう。政府が支払いを拒否した場合、企業や投資家は、その国の資産を差し押さえることまで可能だとウォラック氏は言います。ISDS条項は、投資家や企業に非常に有利なものなのです。

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を推し進めたいオバマ大統領は、「TPPにより米国の法律がないがしろにされることはない」と主張していますが、ISDS条項によって米国の法律が骨抜きにされる事例は既に起きているとウォラック氏は指摘します。米国では、2008年、消費者団体等による半世紀に渡る働きかけが実り、食肉への原産地表示を義務付ける農業法が制定されました。これにより、米国の消費者は安全な産地からの食肉を選ぶことができるようになりました。しかし、精肉業界は、この制度は貿易障壁であるとして反発し、カナダとメキシコの政府を動かしWTOに提訴します。その結果、WTOは精肉業界の主張を認め、米国政府に制度の廃止か毎年20億ドルの賠償金を命じました。結局、米国政府は原産地表示制度を諦める道を選ばざるを得ませんでした。表面的にはカナダとメキシコが米国に対して勝訴した形ですが、本当の勝者は原産地表示義務を撤廃させたい精肉業界であり、WTOを使ったグローバル企業の勝利です。

ウォラック氏は、こうした食肉の原産地表示やトランスカナダ社の件は、TPPの本当のリスクを広く知らせるための重要な事例であると言います。また同時に、TPPの下ではグローバル企業がISDS条項より使いやすく、言い換えれば、政府がより提訴されやすくなる可能性も示唆しています。例えば、米国はISDS条項を含む貿易協定を既に50も締結していますが、これら協定の相手国には巨大多国籍企業がほとんどなかったため、米国政府が訴訟に引き出されることはありませんでした。しかし、TPPの締結後は、この図式が大きく変わり、9500以上の巨大多国籍企業がISDS条項を根拠に、米国の国内法や裁判所を飛び越えて米国の制度に直接異議を唱えられるようになります。このようなリスクは、米国に限らず、日本を含めたTPPに加盟する全ての国が負うことになりますが、各加盟国においてこの点に関する議論は果たして十分にし尽くされているのでしょうか?(千野奈保子)

*ロリ・ウォラック(Lori Wallach): パブリック・シティズンのグローバル・トレード・ウォッチ代表。The Rise and Fall of Fast Track Trade Authority(『ファーストトラック貿易権限の盛衰』)の著者。

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字幕翻訳:朝日カルチャーセンター横浜 字幕講座チーム:
東泉知佳・千野菜保子・仲山さくら・山下仁美・山田奈津美・山根明子
/全体監修:中野真紀子