6年間にわたってFBIのかん口令下にあった人物と共に、米政府の監視とインターネットのプライバシーについての議論を続けます。「カリックス」という、ニューヨークを拠点としたインターネット・サービス・プロバイダーを経営していたニコラス・メリルに対し、2004年のはじめ、彼の顧客の一部についての詳細な個人記録を引き渡すことを命じる国家安全保障書簡が発行されました。この書簡の受取人は、法律によって、FBIと接触をもったことを他言することが禁じられています。国家安全保障書簡を受け取った後、かん口令を敷かれた米国市民はメリルの他にもいますが、FBIの秘密の戦術に立ち向かったのは彼が初めてでした。メリルは、アメリカ自由人権協会に行き、国家安全保障書簡の規則に対する初めての訴訟を起こしました。この訴訟においては、メリルの身元は単にジョン・ドウ(名なしの権兵衛)とされました。2010年8月にFBIとの合意が成立して初めてメリルは自分の身元を公にすることができるようになりました。「[この裁判では]米国愛国者法の中の国家安全保障書簡の条項が違憲であると、二度判決が下される結果となりました」と、メリルは言います。「しかし、われわれは最高裁に行って、国家全体に影響を及ぼす、最終的な拘束力のある判決を得るところまでは行くことができませんでした。