1944年に起きたリーシー・テイラーの集団レイプ事件を検証するドキュメンタリー映画(The Rape of Recy Taylor)ができました。黒人のリーシー・テイラーは当時24歳の小作農で子供もいました。事件の後、テイラーは口をとざすことを拒んで声をあげ、全米黒人地位向上協会(NAACP)のレイプ事件調査主任だったローザ・パークスに助けを求めました。パークスがテイラーの面会調査に赴いた時、現地の保安官がテイラーの自宅まで車で尾行を続けたあげく、ついにはテイラーの自宅に乱入して、町を出なければ逮捕するとパークスを脅迫しました。パークスは町を離れましたが、「リーシー・テイラー夫人への平等な司法を求めるアラバマ委員会」(Alabama Committee for Equal Justice for Mrs. Recy Taylor)を立ち上げ、これが契機となって正義を求める運動が起こりました。パークスが白人男性にバスの席を譲ることを拒否して公民権運動のヒーローとなり、モンゴメリー・バス・ボイコットが起きたのは、それから11年後でした。