誰がチェを殺した? CIAの完全犯罪

2012/2/7(Tue)
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40分

1959年1月1日、フィデル・カストロ率いる革命軍が独裁者フルヘンシオ・バチスタ大統領を追放して成立したキューバの革命。米国を中心とした在外資本による大土地所有制度に新政権が改革の大鉈を振うと、歴代の傀儡政権を通じキューバを実質的な植民地として収奪してきた米国との関係は急速に悪化しました。アイゼンハワー政権は亡命キューバ人を組織して革命政府打倒を画策し、その後を継いだジョン・F・ケネディ政権は、1961年4月15日にピッグス湾侵攻作戦を実施して撃退されます。1962年2月7日、ケネディが全面的なキューバ制裁に踏み切って以来、共和党と民主党の一貫した支持のもとで「世界史上最長の経済封鎖」は強化され続け、50年もの長期にわたってキューバ国民に極度の物質的な困窮を強いてきましたが、カストロ政権は盤石の体制を維持したまま今日に至っています。制裁解除を勧告する決議は、1992年以来、国連総会で20年連続採択され、当初は非同盟諸国が賛同の中心だったものの、次第に支持を広げて西欧諸国も一致して賛成に回り、ついに反対するのは米国とイスラエルのみという、米国外交の国際的孤立を対イスラエル政策以上に象徴するものとなりました。憲法上の権利センターのマイケル・ラトナー名誉会長に制裁の歴史と背景を聞きます。ラトナーは、上院議員時代には制裁解除を主張しておきながら大統領就任後は制裁維持を正当化し続けるオバマ大統領の二枚舌を批判します。

キューバ革命の英雄エルネスト・チェ・ゲバラが、ラテンアメリカ革命を目指して遠征した先のボリビアで、軍によって処刑されたのは1967年10月8日。2012年はそれから45年目に当ります。アルゼンチン出身のゲバラは若き日の旅を通じて南米社会の現実と民衆の貧困に接して革命を志向し、やがてメキシコでのフィデル・カストロとの運命の出会いを経て、キューバ革命の中心で活躍しました。キューバ国籍を取得したゲバラは革命政権の要職に就きますが、やがて第三世界革命を推進するためアフリカへ、さらにボリビアへ転戦しました。

ゲストのマイケル・ラトナーとマイケル・スティーブン・スミスは、共著Who Killed Che? How the CIA Got Away with Murder(『誰がチェを殺したのか─CIAの完全犯罪』)で、これまで機密だった米国政府の公文書を含む膨大な文献を分析し、ボリビア軍によるチェの殺害をCIAが指揮した事実を明らかにしました。これまで発表された伝記や研究の多くが踏襲してきた、ゲバラ殺害作戦への関与を否定する米国政府の公式見解を真っ向から否定するものです。数々の証言に基いて、ゲストの二人がゲバラの最期を語ります。若き革命家を抹殺することで社会革新の機運への影響を削ごうとした米国政府の思惑にも拘らず、チェ・ゲバラは忘れ去られるどころか、民衆の大義に殉じた無私の革命家として、むしろ今日もその存在感を増しています。エジプトのタハリール広場でも、ウォール街の占拠現場でも、「1%」を代表する英雄として、チェ・ゲバラは生き続けているのです。かつては秘密裡に遂行された違法な暗殺作戦が堂々と政権の成果として発表される現状を憂える二人は、垂れ流しにされる権力の嘘を疑えと語ります。(斉木裕明)

*マイケル・ラトナー(Michael Ratner) 弁護士。司法関連NPO「憲法上の権利センター」(Center for Constitutional Rights)名誉会長。ウィキリークスのジュリアン・アサンジュ氏の代理人を務める。Who Killed Che? How the CIA Got Away with Murder(『誰がチェを殺した? CIAの完全犯罪』)の共著者。
*マイケル・スティーブン・スミス(Michael Steven Smith) Who Killed Che? How the CIA Got Away with Murder(『誰がチェを殺した? CIAの完全犯罪』)の共著者、弁護士、NPO「憲法上の権利センター」理事

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字幕翻訳:斉木裕明/全体監修:中野真紀子