デイリーニュース

  • ジョージ・ティラー医師の殺害から5年 脅迫に負けずウィチタでの中絶を続ける一人の医師

    オクラホマ州で、一箇所を除き州内全ての妊娠中絶医院を閉鎖する法律が制定し、ルイジアナがこの先例に従う姿勢を見せるなか、5月最終週にその殺害から5年を迎えたジョージ・ティラー医師が遺したものを振り返りましょう。ティラーは、妊娠第3期の中絶を提供する一握りの医者の1人でした。彼は絶え間ない脅迫、クリニックへの火炎瓶による攻撃、そして両腕に銃創を残した暗殺の試みをものともしませんでした。2009年5月31日、過激中絶反対派のスコット・ロジャーは、カンザス州ウィチタにあるティラーの教会に入り彼を射殺しました。本日は2013年に再開されたティラーのクリニックで毎週中絶手術を行いにシカゴからウィチタまで通うシェリル・チェスティーン医師と話しティラーを偲びます。チェスティーンは、カンザス州で中絶を受けることに対する障壁について議論し、彼女や同僚が直面する脅威およびいやがらせなどについて話します。「私は朝起きると、私を必要とする患者がいることを感じます。」とチェスティーンは言います。「私がこの仕事から遠ざけられることを自分で受け入れてしまったら、私はテロリズムの勝利を受け入れることになるのです。」

    dailynews date: 
    2014/6/4(Wed)
    記事番号: 
    3
  • 解放された戦争捕虜 ボウ・バーグダールは脱走兵か?彼が持ち場を離れたのだとすれば、彼も良心に従った複数の兵士の一人といえる

    戦争捕虜としての拘束から解放されたボウ・バーグダール軍曹は、現在、任務放棄の可能性について陸軍による捜査の対象となるおそれがありますが、歴史家および元ABCニュース主任中東特派員チャールズ・グラスに彼について話を聞きます。グラスの著書The Deserters: A Hidden History of the Second World War(『脱走兵:第二次世界大戦の隠れた歴史。』)は、3人の兵士の物語を通じて、戦争の緊張が兵士たちをいかに限界まで追い詰めるかを浮き彫りにしています。彼ら3人を含め、第二次世界大戦中に約50,000人のアメリカの兵士がヨーロッパ戦線で脱走しました。「我々は、バーグダールがどのような状況を通り抜けてきたか理解しなければいけません。」とグラスは言います。「最前線で戦う若者が、アフガニスタンにおける彼の祖国の使命を信じ、果たしてそれが伝えられたこととは全く違っていたことを発見し、また自分自信がその圧制のメカニズムの一部となり、人々を殺し、村々に入っては、敵の戦闘員を除くことが、家族を殺すことだと分かりました。我々が彼がどんな経験をしたか理解し、彼と彼の家族に同情を示すことを私は望みます。」

    dailynews date: 
    2014/6/4(Wed)
    記事番号: 
    2
  • 「他に道はなかった」: 脱走兵らの弁護人 ボウ・バーグダールの名誉除隊を求める

    タリバンは、グアンタナモ基地に拘束されていた5人のタリバン幹部との交換を見込んだ取引で陸軍軍曹ボウ・バーグダールを米国特殊作戦部隊に引き渡す様子を写したビデオを公表しました。知られている限り最後の米国人戦争捕虜の自由を勝ち取ったわけですが、バーグダールがアフガニスタンでの戦争に対する反感を強く持つようになり、ついに自主的に基地を離れたと報道されているの受けて、共和党員らはこの取引を非難しています。陸軍当局がバーグダールが違法行為に従事したかを調査するとしている一方で、彼と同じ部隊に従軍していた兵士達はメディアに対し、彼は脱走兵だと言っています。「バーグダールはアメリカの帝国主義の構造を直接目撃し、それに対してとても深いところから、本能的に反応した人間として発言しているのです。」と、米軍の脱走兵と良心的兵役拒否者を専門にする弁護士ジェームス・ブラナムは述べます。「彼はそうせざるを得なかったのです。」ブラナムは彼の依頼人を含め、殆どの脱走容疑で有罪を受けた兵士達は6ヶ月から24ヶ月の判決を受けると付け加えます。「バーグダールは実質上捕虜として現代での脱走兵として誰よりも長い懲役を既に努めました。したがって彼を処罰する理由はありません。」

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    2014/6/4(Wed)
    記事番号: 
    1
  • 最高裁が上告を棄却:オバマ政権はニューヨークタイムズ紙の記者ジェームズ・ライズンを投獄するのか?

    過去数十年の中で最も重要な報道の自由についての裁判の一つで、米最高裁は、秘密の情報源を明かすことを拒否したことで実刑判決に直面しているニューヨークタイムズ紙の記者の上告を棄却しました。ジェームズ・ライズンは、最高裁に、元CIA分析官ジェフリー・スターリングの刑事裁判で証言することを彼に強いる判決の取り消しを求めていました。検察側は、スターリングがイランの核開発計画を妨害する上でのCIAの役割について、ライズンに情報を与えていたと確信しています。ライズンは証言するくらいなら刑務所に行くと明言し、最高裁の介入を期待していました。しかし最高裁は6月2日、実質的に米政府側に付き、介入を拒否しました。オバマ政権は、ライズンへの証言命令を実行し、米国の最も著名な国家安全保障記者の一人を刑務所に送るという危険を冒すかどうかを今決めなければなりません。「プレスの自由財団」(Freedom of the Press Foundation)の代表であるトレバー・ティムと、ガーディアン紙のコラムニストであるマシュー・クーパーの二人のゲストから話を聞きます。クーパーは、ワシントン支局の長年の記者で、ヴァレリー・プレイムがCIAの工作員だったことが暴露されたことにつながったブッシュ政権時代の漏えい裁判のときに、法廷侮辱罪で拘束されました。
    原文:

    dailynews date: 
    2014/6/3(Tue)
    記事番号: 
    4
  • グアンタナモの元主任軍事検察官がアメリカ人戦争捕虜とタリバン囚人の交換を擁護

    カタールによって仲介された交渉で、米国はボウ・バーグダールの自由を勝ち取ることと引き換えに、グアンタナモ米軍基地から5人のタリバン指導者らを解放することに合意しました。バーグダールは現在、ドイツの米国陸軍病院で治療を受けており、米国に後日帰国する予定です。タリバンの指導者らは強制的にカタールに1年間留まることになっています。この交渉は物議を呼んでいます。バーグダールの元同僚兵の中には、彼は脱走したことで軍法会議にかけられるべきだと言う人もいます。一方、共和党員らは、グアンタナモの囚人移送の事前警告を議会に適切に与えていないこと、米兵を捕虜にすることの利点を示して世界中の米兵を危険にさらしているとオバマ大統領を非難しています。退役空軍大佐で、2007年にグアンタナモ米軍基地の主任軍事検察官の地位を辞任したモリス・デイビスから話を聞きます。

    dailynews date: 
    2014/6/3(Tue)
    記事番号: 
    3
  • 記者が語る:ボウ・バーグダールの同僚の兵士たちは、彼よりもさらにアフガン戦争を疑問視していた

    故マイケル・ヘイスティングス記者によるローリングストーン誌の2012年の紹介記事によると、新たに解放された米兵ボウ・バーグダールは、初めはフランス外人部隊に入ろうとしたものの拒否され、2008年に米陸軍に入りました。彼は、2009年春にオバマ大統領が最初の部隊増派を命じた直後に、アフガニスタンに派遣されました。バーグダールは彼の部隊の一人の兵士に「もしこの派遣がひどいものなら、僕はパキスタンの山の中に歩き去るつもりだ」と語ったと言われています。そして、2009年6月30日、ナイフと水、デジタルカメラと日記だけを持って基地を去ったとき、その言葉を実行したとも考えられます。それから24時間以内に彼は拘束されました。アフガニスタンで部隊に従軍しているときにボウ・バーグダールに会った、ガーディアン紙の受賞歴のある写真家で映像製作者であるショーン・スミスから話を聞きます。スミスは、前のセグメントで放送したボウの父親ボブ・バーグダールの映像も撮影しました。

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    2014/6/3(Tue)
    記事番号: 
    2
  • 解放された米兵の父親「グアンタナモ米軍基地の囚人に私たちの家族ほど共感できる人は他にいない」

    アフガニスタン戦争の最後の米国人戦争捕虜として知られるボウ・バーグダールが、タリバンとの捕虜交換で、拘束から5年後に解放されました。バーグダールが拘束されたのは、武器を持ずに米軍基地を立ち去ろうとしたときだと報じられています。彼は、米陸軍には幻滅した、アフガニスタンでの米国の使命は支持できない、新たな生活を始めるために去る、と書いたメモを残していたと言われています。バーグダールの両親のボブとジャニは、米国とタリバンの交渉が決裂した3年前の時点で彼らの息子が捕虜交換交渉の対象になっていたことを初めて明らかにしました。息子の解放を前に、ボブ・バーグダールは家族が住むアイダホ州の田舎で撮影された、ガーディアン紙のショーン・スミスの独占インタビュー応えています。「グアンタナモ米軍基地の囚人たちに私たちの家族ほど共感できる人はいないでしょう。なぜならこれは同じことだからです」とボブ・バーグダールはスミスに語りました。「[第二次大戦中に]恐ろしい戦争犯罪者たちに対して、あれだけ高い水準の司法手続きをすることができたわれわれが、今は10年も11年も司法手続きすらしないというのはなんとしたことでしょう。これは間違っています」。

    dailynews date: 
    2014/6/3(Tue)
    記事番号: 
    1
  • 対テロ元最高責任者リチャード・クラーク:ブッシュ、チェイニー、ラムズフェルドは戦争犯罪を犯した

    米テロ対策元最高責任者のリチャード・クラークは、ジョージ・W・ブッシュ元米大統領が、2003年のイラク侵攻を決めた戦争犯罪に罪悪感を感じていると思うとデモクラシー・ナウ!に語りました。クラークはブッシュ政権1年目、安全保障とテロ対策担当の国家調整官を務めていました。イラク侵攻後の2003年に辞任、その後NY同時多発テロ前のアルカイダによる攻撃の警告を無視したとしてブッシュ政権高官を非難し、ニュースに取り上げられました。 「彼らが承認した事柄は、おそらく戦争犯罪の領域に含まれているだろうと考えています。(その追及が)生産的か否かという議論はあるだろう。しかし我々は、国の現職の大統領や首相の行動を訴追し裁判するハーグの国際刑事裁判所に手続きを済ませました。つまり、このようなことを行う前例は存在するのです。ブッシュ政権メンバーに対してそれ(訴追)を行うことが役に立つことなのかどうかを、われわれは考えなければならない。ブッシュ政権がやったことが戦争犯罪だということは、──少なくとも私の考えでは──はっきりしています」とクラークは話します。

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    2014/6/2(Mon)
    記事番号: 
    2
  • 対テロ元最高責任者リチャード・クラーク:オバマ政権下で米無人機プログラムは「手に負えなくなった」

    リチャード・クラークは、イラク戦争に抗議して辞任した2003年までビル・クリントン、ジョージ・W・ブッシュ両大統領の下で米テロ対策担当官のトップを務めました。NY同時多発テロ発生1年前、クラークは米国空軍にウサマ・ビンラディンの捕獲に関する米国の取り組みの一環として、無人機の運用を推進していました。クラークによると、CIAと国防総省は、当初この計画に反対していました。そしてNY同時多発テロが発生。2ヶ月後の2001年11月、アルカイダの軍事部門トップのモハメド・アテフが、プレデター無人機によって殺害された初めての人物となりました。英非営利団体「調査報道局(Bureau for Investigative Journalism)」によると、米無人機はそれ以降、イエメン、ソマリア、イラク、パキスタン、アフガニスタンで少なくとも2600人を殺害しました。クラークはSting of the Drone(『無人機の一刺し』)と呼ばれる無人機戦争についての小説を執筆したばかりです。クラークに彼の著書とオバマ大統領によって拡大されている無人機戦争への懸念について聞きます。「(無人機の)プログラムは手に負えなくなった。過度の秘密主義は一部の無人機攻撃がそうであったように逆効果になっている」とクラークは語ります。

    dailynews date: 
    2014/6/2(Mon)
    記事番号: 
    1
  • パート2:タナハシ・コーツ人種隔離 住宅差別 『賠償請求の論拠』を語る

    高名なエッセイスト、タナハシ・コーツのインタビュー、パート2をお届けします。コーツはアトランティック誌のトップ記事"The Case for Reparations"(賠償請求の論拠)の中で、奴隷制度と人種隔離法、連邦政府支援の住宅政策が一貫してアフリカ系アメリカ人から財産を奪い、世代にまたがる富の蓄積を妨害してきたかを明らかにしています。「アフリカ系アメリカ人も正しく行動するまっとうな人物であれば、米国の白人優越主義の典型的な表れである略奪にひっかかることはない、という大嘘が神話化してきました。でも、人柄など関係ないのです。どれだけ自分を磨いても、この仕組みから免れることはできないのです」とコーツは語ります。インタビューのパート1はこちらから
    dailynews date: 
    2014/5/30(Fri)
    記事番号: 
    3

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