「長き一夜」強制収容所の歴史と今日における他者排斥の風潮 アンドレア・ピッツァー (1)
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☆ この動画の字幕は、神戸女学院大学とソルボンヌ大学の両通訳翻訳コースの皆さんが合同授業で取り組んでくださった作品の前半部分です。
強制収容所(Concentration Camp)というと真っ先に浮かぶのはナチの絶滅収容所でしょう。第二次大戦中にドイツ支配地域で多数のユダヤ人や同性愛者、マイノリティが抹殺されました。西洋文明の中心部でこのような野蛮な企てが起きたことは世界を震撼させ、徹底的な追及と断罪が行われました。
しかし、この悪夢のような歴史の一幕は、それ以外の強制収容所の存在を矮小化することにもなりました。強制収容所はどのようにして始まったのか?いまはもう存在しないのか? アンドレア・ピッツァーは、強制収容所とは「民間人を裁判なしに大量に拘禁すること」だとして、その包括的な歴史の記述を試みました。
強制収容所は植民地支配の一環として誕生しました。ピッツァーによれば、19世紀末、植民地の反乱に手を焼いたスペインがキューバ植民地に最初に導入しました。ゲリラ軍に利用されないように農村の人々を強制移住させ収容所に押し込めたのです。でも収容所の環境は劣悪で死者が続出しました、当時、米国の新聞はこの惨状を大々的に報じてスペインを非難し、米西戦争に導く世論を醸成しました。
でも、スペインから引き継いだフィリピン殖民地では、米国自身が同じような強制収容所を建設することになりました。植民地の抵抗に悩む他の国々もこの手法を取り入れ、世界各地に広がることになりました。イギリスはケニアで、フランスはアルジェリアで、米国はベトナムで村人の強制収容を行いました。
一方、これと対となるものとして、ピッツァーは共産圏の強制労働収容所を挙げています。第一次世界大戦後は欧州にも強制収容所が広がりました。ロシアで革命政府がつくった強制収容所が後にグラークに発展しソ連各地で膨大な数の人々が収容されました。そして第二次大戦後は東欧にも類似のシステムが広がりました。
現在も強制収容所に相当するものは見つかります。ピッツァーはその事例として、グアンタナモ収容所やミャンマー(ビルマ)のロヒンギャ難民キャンプの実態を挙げています。今日、移民排斥やマイノリティ憎悪が世界中で高まる中で、異質な集団とされる人々の強制収容を許容するような風潮が懸念されます、(中野真紀子)
アンドレア・ピッツァー(Andrea Pitzer)ジャーナリスト、作家。One Long Night: A Global History of Concentration Camps(『長き一夜―-強制収容所の全貌』)著者
字幕翻訳:神戸女学院大学大学院文学研究科通訳・翻訳コース + ソルボンヌ・ヌーヴェール=パリ第三大学/通訳翻訳高等学院 (ESIT) 全体監修:中野真紀子