変わりゆくキューバ (2) 先駆的な有機農法システムは米国アグリビジネスの参入で生き残れるのか?

2015/6/2(Tue)
Video No.: 
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15分

キューバの話題の後半は、1990年代に始まって大成功を収めた有機農業に焦点をあてます。1990年代に実際にキューバに暮らし、研究を行っていた経験を持つ、キャサリン・マーフィをゲストに、世界でも稀に見る先駆的有機農業システムを作り上げたキューバの様子を、カレン・ラヌッチらの取材ビデオ(記録映画『ハバナからのポストカード』の一部)を見ながら考察します。人口約1,100万人のキューバはいまや主要な食品や農産物の有望な新市場として世界中の食品・農業の多国籍企業の市場参入のターゲットとなりつつあるのです。

映画クリップでは、都市部に住む人々が有機農法を用いて農業関連のビジネスを続々と生み出し、食糧供給の質の改善により国民の健康を守ると同時に雇用の創出にも貢献している姿が紹介されています。しかし、米国との関係改善によりもたらされるであろう農薬会社をはじめとする巨大アグリビジネスのキューバ進出を危惧する声もあがり、キューバの独自の農業システムを守るための対策が必要とされているのも事実です。

キューバが有機農業大国となったのには理由があります。もともと80年代半ばまでのキューバは旧ソ連の支援を受けて農業機械と農薬を大規模に投入した集約農業システムが栄えていた国でした。しかし、当時カロリー消費の半分以上をソビエトからの輸入に頼っていたために、ソ連崩壊のあおりを受けてキューバは重大な経済危機に見舞われます。食料そのものが入手困難になったことに加え、農業を行うための道具や機械といった物品の輸入もできなくなりました。そして、この危機的状況を打開するために始められたのが都市農業でした。屋根やバルコニーなど文字通り住宅のあらゆるところで野菜の栽培が行われ、自分たちの食料を自分たちで確保するようになったのです。家庭菜園が法律で禁止されるような国も存在する中、キューバでは役所や政府が販売権の保護や研修制度を設けるなど、自国の経済危機の打開に向けて積極的な支援を行ってきました。その結果、これまで栽培されてこなかったたくさんの種類の野菜が生産されるようになり国民の栄養状態は大幅に改善されたのです。

米国との国交断絶からの半世紀、キューバは国の存亡すら危ぶまれる大きな危機に見舞われました。しかし、高い教育水準と国民一人一人の努力により独自の発展を遂げ、生き残ることに成功しました。この回動画で紹介される取材ビデオでは、自国の文化や歴史に誇りを持ち、米国との国交改善によりもたらされるであろう未来への希望に目を輝かせた、たくさんの人々が映し出されています。格差問題や食糧問題など数々の課題を抱えながらも新たなる時代に向けて突き進むキューバの今後から目が離せません。(山田奈津美)

キャサリン・マーフィー(Catherine Murphy,)映画作家 1990年代にキューバに留学。キューバ革命直後の1961年に始まった全国識字率向上運動で活躍した若い女性教師たちを追った記録映画『マエストロ』を制作した。

Credits: 

字幕翻訳:朝日カルチャーセンター横浜 字幕講座チーム:
千野菜保子・仲山さくら・山下仁美・山田奈津美・山根明子
/校正:中野真紀子