暴露 スノーデンが私に託したファイル ~(3)まるでスパイ映画のようだった
今夜はクリスマス・イブ。NSA(国家安全保障局)の巨大な監視体制を暴く一連のスクープを掲載したグレン・グリーンウォルドへの長編インタビューの第2部をお届けします。ガーディアン紙はこの報道でピュリツァー賞を受賞しましたが、その最大の功績者はグリーンウォルドです。友人の映像作家ローラ・ポイトラスと共に2013年6月に香港に飛び、エドワード・スノーデンと落ち合いました。
彼らは香港のホテルの一室から世界最強の情報機関に関する暴露報道を次々と行い、またスノーデンの生の声を伝えるためのビデオを撮影しました。内部告発した本人が堂々と名乗り出て、意図を明確に伝えたことは、その後の展開に大きな影響を与えました。2日にわたって放送した長編インタビューの後編では、グレンたちが香港でスノーデンと初めて会ってから、彼が迫りくる捜査の手を振り切って間一髪で脱出するまでの経緯が詳細に語られます。
どのようにして初対面のスノーデンと落ち合ったのか、情報源としての彼の信憑性を判断した根拠は何だったのか。ビデオを作成することになった経緯や、その後のスノーデンの香港脱出劇などは、まるでスパイ小説のようなスリリングな展開です。
最終的にスノーデンはロシアの一時的に庇護されることになりましたが、グリーンウォルドたちにも身の危険がないとはいえません。米当局による拘束と尋問のリスクをはばかって、一年近く米国に帰国できませんでした。今でこそ国家の犯罪をあばいた功績をたたえられ、賞ももらいましたが、当初はむしろ先ゆきの予想は暗く、自国政府から訴追され、逮捕や投獄されることも覚悟していたのです。
これほどまでにうまくいったのは、エドワード・スノーデンの周到な計画と判断の正しさが大きかったようです。香港を選んだことも、自ら名乗り出て自分の行動の理由を説明したことも、結果的には大きく奏功しました。ネットで公開された本人のメッセージを伝える衝撃のビデオがなければ、彼の行動が世界中でこれほどの共感を呼ぶことはなかったでしょう。
その意味では、なによりも正解だった判断は、情報を託すジャーナリストとしてグレン・グリーンウォルドとローラ・ポイトラスを選んだことです。マスコミには体制を守るために設けれられた暗黙のルールがありますが、その限界を踏み超える覚悟のある真のジャーナリストがこの2人でした。政府と交渉しながら本格的な打撃を与えることのない範囲で数本のスクープを行う程度では、スノーデンが捨て身で求めたような本当の変化をもたらすことはできません。いま求められるジャーナリズムについて、強く考えさせられる動画です。(中野真紀子)
☆ このセグメントはクラウドファンディングが成立したおかげで字幕をつけることができました。スポンサーになっていただいた皆さんに、心から感謝を申し上げます。
グレン・グリーンウォルド(Glenn Greenwald)ピュリツァー賞受賞のジャーナリスト。新著は『暴露 スノーデンが私に託したファイル』。
字幕翻訳:川上奈緒子 齋藤雅子 / 校正:中野真紀子