新たな冷戦?ウクライナ政変の背景を探る

2014/2/20(Thu)
Video No.: 
1
23分


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2014年2月、ウクライナのヤヌコビッチ政権が崩壊しました。前年11月、ヤヌコビッチ大統領は欧州連合(EU)との貿易協定を撤回し、EUと関係を深めたい親欧派による抗議デモが勃発しました。当初は市民による呼びかけだったデモは、たちまち数万人規模のデモになり、武装したデモ隊と治安部隊の衝突が頻発するようになります。2月20日、衝突は死者90人以上を出す大惨事となり、ヤヌコビッチ政権は崩壊しました。反体制デモの中心となった野党勢力には「自由(スヴォボダ)」などのネオナチ・右翼勢力も含まれており、この急進的な勢力が暴徒化したと言われています。

ウクライナの政変にはNATO(北大西洋条約機構)の拡大が背景にあります。NATOは1949年、共産主義の脅威に対抗するために米国・カナダ・西欧諸国によって設立されました。NATOに対抗してソ連を盟主とするワルシャワ条約機構が作られましたが、ワルシャワ条約機構は冷戦終結後に解散されています。しかしNATOは継続され、1992年のボスニア内戦、1999年のコソヴォ紛争でもユーゴスラヴィア連邦に空爆を行っています。こうした軍事行動に続き、東欧諸国のNATO加盟も加速しました。1999年にはポーランド、チェコ、ハンガリー、2004年にはルーマニアやブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国がNATOに加盟。ロシアからすれば東欧を巻き込んだ西側諸国が足元まで迫ってくるという危機感が高まっても不思議ではありません。2008年のロシアとグルジアの紛争では、グルジアのNATO加盟への動きが背景にあると言われます。

しかしいっぽうでEUは2002年、「NATOロシア理事会」を設立し、ロシアと対話路線を選んでもいました。しかしブッシュ政権はチェコやポーランドでミサイル防衛のための基地や迎撃ミサイルを配備する計画を立ち上げ、ロシアの危機感を高めることとなりました。じわじわと迫るNATOの包囲網にロシアは耐えてきたとも言えるのです。

クリミアの併合でロシアは国際法違反だと批判を浴びましたが、ロシアから見たら欧米の行動がどう映ってきたのか、視点を変えることは歴史を学ぶ上で重要です。この放送はヤヌコビッチ政権が崩壊する直前の収録ですが、ロシアの警戒心をあおる行動を続ける米国の政策がわかりやすく説明されています。(桜井まり子)

☆ヤヌコビッチ大統領のキエフ脱出(2月22日)直前の放送です。同月上旬にYouTubeに投稿されたヌーランド国務次官補と駐ウクライナ米国大使の会話も取り上げられていますので、ぜひご覧ください。

*スティーブン・コーエン(Stephen Cohen): ニューヨーク大学とプリンストン大学名誉教授。専門はロシア研究と政治学。近著は Soviet Fates and Lost Alternatives: From Stalinism to the New Cold War(『ソ連の運命と逸した選択肢:スターリニズムから新たな冷戦まで』)。

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字幕翻訳:松岡碧郎 / 校正:桜井まり子 全体監修:中野真紀子