アーロンシュワルツはなぜ死んだか?

2013/1/14(Mon)
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20分

オープン・インターネットの活動家アーロン・シュワルツが、2013年1月11日に自殺しました。わずか14歳でRSSの技術基盤をつくった天才プログラマーです。自由なインターネット空間を唱導してきた憲法学者ローレンス・レッシグとも親交が深く、著作物の有効利用のための承認制度クリエイティブ・コモンズの立ち上げや、オンラインのオープン百科事典ウィキペディアなどにもかかわってきました。

公共であるべき情報の積極的な開放を進める政治的な運動も行っており、また2012年初めに話題となった「オンライン海賊行為防止法」(SOPA)の法案通過を阻止した市民運動の種を撒いたのも彼でした。映画産業が推進するSOPA法案は、著作権侵害を防止するために違反サイトを米国内のネットサービスから遮断する権限を業界と政府に与えるというもので、著作権侵害を口実にした言論弾圧の道具になりかねない危険な法案だったからです

その危惧が当の本人にふりかかったような事件が、「JSTOR」データベースへの不正アクセス容疑による逮捕と訴追でした。学術論文電子アーカイブによその大学のイントラネットからアクセスするという誰でもするような行為が通信詐欺とコンピューター詐欺とされ、有罪になれば35年という不釣り合い厳しい罪状がだされていたのです。理想主義に貫かれた早熟の天才がなぜ自殺しなければならなかったのか?彼の自殺の背景と、変貌しつつあるネット世界についてレッシグ教授が語ります(中野真紀子)。

*ローレンスレッシグ(Lawrence Lessig) ハーバード大学法学部教授 アーロン・シュワルツが12歳のときからの付き合いで、共同でクリエイティブ・コモンズのプロジェクトを作り上げた。

Credits: 

字幕翻訳:玉川千絵子 全体監修:中野真紀子