7万人の断種につながりナチ科学者の弁護にも引用された米国史上最悪の最高裁判決

2016/3/17(Thu)
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今回は、米国史上最悪と言われる最高裁判決が下された「バック対ベル訴訟」を取り上げます。1927年、米国の連邦最高裁は、精神病または知的障害と言われている人々に対し、州が不妊手術を強制することを可能とするバージニア州の法律を支持する判決を下しました。この訴訟の原告は、何の障害も持っていないにもかかわらず州の隔離施設に収容されていた、キャリー・バックと言う若い女性でした。判決は、バージニア州はバックに不妊手術を施す権利があるとするもので、判決文を書いたオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア判事は、「知的障害が3代も続いたなら、もう十分だろう」と締めくくっています。この判決により、子孫を残すには「不適格」とされた6~7万人の米国人に強制的に不妊手術が行われました。この裁判について本を書いたアダム・コーエンに話を聞きます。

バック対ベル訴訟の原告であったキャリー・バックは、バージニア州の貧しいシングルマザーの家に生まれました。彼女は、その後、当時の風習で中流家庭へ里子に出されますが、その里親の家庭で召使同然に扱われた上に、里親の甥に強姦され妊娠してしまいます。これを知った里親は、キャリーを知的障害者に仕立て上げ、癲癇患者と知的障害者向けの隔離施設に送ります。当時の知的障害の診断は非常にお粗末なものでした。ちょうどこの頃、バージニア州では断種法が制定されます。キャリーは、この法律の最初の適応者とされ、彼女に対し州が不妊手術を強制することが、米合衆国憲法に照らして合憲であるか否かが裁判で争われることとなりました。

判決は最高裁まで持ち込まれ、そこでは8対1で合憲と判断されました。その結果、キャリーは強制的に不妊手術を受けさせられました。 この歴史的判決の背景には、当時、米国の支配層を中心に広く支持を集めていた優生学運動がありました。「優生」という概念は、英国人でダーウィンの従兄に当たるフランシス・ゴルトンが最初に提唱した概念です。ダーウィンの進化論と適者生存の考え方に刺激を受けて優生学の研究を始めたゴルトンと彼の仲間は、適者生存が自然に行われるのであれば、人為的に適者の選択を行えばこの過程をスピードアップすることができると考えるようになります。この考え方は米国でも受け入れられ、優れた遺伝子の改良の手段として注目を集めるだけでなく、遂には国や州の制度にも取り入れられるに至ります。例えば、1924年に施行された移民法は、当時急増していた“遺伝学的に劣った”と考えられていた南欧や東欧からの移民を制限し、米国人の遺伝子の質を高めることを目的としたものでした。

コーエンは、このように米国で優生学が受容された理由に、急増する移民や農村から都市への人口流入により、当時の米国社会が不安定化していたことを指摘します。こうした社会の変化に脅威を感じていたのは、白人の支配層でした。変わりゆく国を何とか自分たちの権益を守る形で制御したいという彼らの意向と、当時新興の学問であった遺伝学とが結びつき、現在の科学的知見からは考えられないような優生保護政策が実践されるに至ったのです。

バック対ベル訴訟の最高裁判事は皆、米国史に名を残すような錚々たる顔ぶれでした。中でも、判決文を書いたオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、現在も偉大な判事として尊敬を集める人物です。その彼が、「国家は『国力を奪うもの』の繁殖を防ぐ必要がある」、「社会は明白に病弱なものが種として存続することを防止することができる」という判決文を書いたことについては、実は、現在ではあまり語られていません。また、日本でも名がよく知られている、元大統領のセオドア・ルーズベルト、フランクリン・ルーズベルトも優生学の支持者であったことをうかがわせる発言を残しています。

コーエンは、また、ナチスによる優性政策は、実は米国の政策を手本にしたものであったことを指摘します。その証拠に、米国の優生学の研究者とナチスの研究者との間に交流があり、実際に助言を与えていた米国人研究者がいたことも明らかになっています。さらに、第二次世界大戦後にナチスの指導者たちが裁かれたニュンベルク裁判では、ホームズ判事の判決文が引用されています。裁判にかけられたナチスの指導者たちが、優生保護を最初に合法としたのは米国の最高裁判所であるにも関わらず、なぜ自分たちだけが罪を問われるのかと抗弁する場面も記録されています。ナチスにより強制的に不妊手術をされた人は37万5千人にも及ぶと言われています。

1910~20年代には広く受け入れられていた優生学でしたが、その後ナチスの隆盛とともに米国では支持を失い始め、30年代後半には研究資金の調達もままならい状況に陥り始めます。その一方で、州によっては1970年代頃まで断種法は存続し、それに基づく強制的な不妊手術も行われていました。バージニア州は、今年になってようやくこの法律によって被害を受けた人一人当たり2万5千ドルの賠償金を支払うことを発表しています。州が過ちを認め正式に謝罪をした2002年から10年以上、1927年のバック対ベル訴訟の最高裁判決からは90年近くが経ってからのことでした。被害者の多くは、この賠償を受け取る前に亡くなっています。

遠い過去のことのように語られがちな優生学運動ですが、コーエンは、優生学的な考え方が再び支持を集め、また国や州政府が優生学に基づく政策を復活させようとする可能性は否定できないと言います。実際に、数年前にはテネシー州で、生後間もない子どもの死への関与を疑われた精神障害を持つ母親に対し、不妊手術を受けることで懲役を免れる司法取引をすすめた弁護士が解雇されるという出来事がありました。優生学的な考え方が無くなったわけではないことを示す事例です。バック対ベル訴訟とその背景にあった米国の優生学運動は、現代に生きる私たちにも非常に重要な教訓を与えています。(千野菜保子)

*アダム・コーエン(Adam Cohen):Imbeciles: The Supreme Court, American Eugenics, and the Sterilization of Carrie Buck(『知的障害者:米最高裁、米国の優生学とキャリー・バックへの不妊手術』)の著者で、元ニューヨーク・タイムズ紙の編集委員、元タイム誌の特別編集員。現在は、TheNationalBookReview.comの共同編集者

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字幕翻訳:デモクラシー防衛同盟 千野菜保子・仲山さくら・水谷香恵・山下仁美・山田奈津美・山根明子 /全体監修:中野真紀子