「革命は可能だ」 チュニジアの教訓

2011/1/18(Tue)
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チュニジアは紀元前にはカルタゴと呼ばれ、地中海貿易で栄えました。16世紀にオスマン帝国の属州となった後、19世紀にはフランスの保護領となり、1956年にフランスから独立しました。独立後ブルギバ大統領の政権が30年間続き、1987年以降、ベン・アリ大統領の独裁が続いていました。そのベン・アリ大統領の長期政権を崩壊させたのはクーデターではなく民衆のデモでした。

それは1人の若者の焼身自殺がきっかけでした。市場で行商をしていた貧しい青年が、許可証がないことを理由に警官に商品を押収され、それに抗議して市役所の前で焼身自殺をしました。青年の抗議はまたたく間に共感を呼び、エジプトでも抗議の焼身自殺が続きました。

 ゲストのアムラニも言っているように、政府役人が大統領の親族で固められるなどベン・アリ政権の腐敗が進み、食糧暴動や高い失業率で国民生活が困窮していたことで一気に国民の不満が爆発し、デモが拡大したのです。2010年の失業率は13.3%となっていますが、大学卒以上の失業率は20%を超えています。しかしエジプト同様、チュニジアでも市民運動が勢いを増していました。ベン・アリ政権の抑圧を受けながらも、市民団体は1987年から2000年にかけて約2000団体から7000団体に急増しています。

アムラニは「チュニジアのような警察国家は民主化から最も遠いと誰もが思っていた。民主化など誰も予想しなかった。しかしそれが起きている。革命は起こせるのだ」と語ります。人々のあきらめや無力感を吹きとばしたのです。それはエジプトの革命でも証明されました。(桜井)

*イサンドル・エル・アムラニ(Issandr El Amrani) カイロの政治アナリスト、作家、人気ブロガー(Arabist.net

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字幕翻訳:田中泉/校正:桜井まり子/全体監修:中野真紀子・丸山紀一朗