パレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュ死去

2008/8/11(Mon)
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パレスチナを代表する詩人、マフムード・ダルウィーシュが8月に亡くなりました。持病の心臓病の悪化のため米国で手術を受け、そのまま帰らぬ人となりました。遺体はパレスチナのラマラに運ばれ、ヤセル・アラファートに次ぐパレスチナで2人目の国葬が執り行われました。彼の死を悼み、パレスチナでは3日間の喪服期間が宣言されました。一介の詩人が、これほどまでに人々に敬愛され惜しまれるのはなぜなのでしょう? ダルウィーシュの詩がパレスチナにとって持つ意味、さらにはアラブ世界全体にとっての彼の存在意義について話し合います。

ダルウィーシュが生まれた村は、1948年彼が6歳の時ユダヤ人の軍隊に占領され、400以上の他のアラブの村と共に破壊されました。一家はレバノンに退避した後にこっそり故郷に戻り、イスラエル国内の難民となりました。そこに住んでいるのに、いないものとされ、「滞留不在者」と呼ばれました。パレスチナ人の存在そのものを否定するイスラエル政府に対し、ダルウィーシュは詩の力で抵抗しました――「登録しろ わたしはアラブだ、わたしは存在する」。何度も投獄された挙句、1970年にイスラエルを去り、パレスチナ解放機構(PLO)に参加して長い亡命生活を送りました。

ダルウィーシュは生涯を通じて「抵抗の詩人」でしたが、そこだけにとどまってはいませんでした。パレスチナ人の物語に他の先住民の悲劇も盛り込み、ローカルな抵抗運動を、より広い普遍的なものへと昇華させたのです。

ゴダールの映画の中でダルウィーシュはこう語っています。「私たちはトロイ戦争をギリシャ悲劇で知る。トロイ戦争の犠牲者の声もギリシャ人エウリピデスから聞いた。ではトロイ人の語り部はどこにいるのか?トロイ人は物語を残さなかった。優れた語り部をもつ国は、語り部をもたない人々を支配する権利があるのか?語り部がいなければ敗北して当然なのか?詩は表現なのか、それとも権力の道具なのか?詩人を持たない民は強くなれるのか?わたしを生んだ民は詩人を持つまで認知されなかった。私は不在者の名において語ろうと思った。トロイの語り部になろうとした。創造性や人間らしさは、勝利よりも敗北の中に現れる」

マフムード・ダルウィーシュの詩は、アラブ世界の人々にあまねく知られ、愛されてきました。彼の作品は、35カ国語以上に翻訳されています。 (中野真紀子)

★ ニュースレター第31号(2010.8.10)
★ DVD 2009年度 第3巻 「パレスチナ」に収録

* ファーディ・ジューダ(Fady Joudah)  ヒューストン在住のパレスチナ系アメリカ人の医師、詩人、翻訳家。詩集Earth in the Attic(『屋根裏の土』)は文学賞を受賞した。ダルウィーシュの近作The Butterfly’s Burden(『蝶の重荷』)を英訳した。

* シナン・アントゥーン(Sinan Antoon)イラク人の詩人、翻訳家、映画作家。現在ニューヨーク大学でアラブ文学を教えている。2003年に発表された詩集Unfortunately, It Was Paradise(『残念念ながらそれが天国だった』)を始め、ダルウィーシュの詩を多数翻訳した。アントゥーン自身も昨年、英語で書かれた詩集Baghdad Blues『バグダッド・ブルース』を出版しており、『イラク・ラプソディ』という小説も発表している。

Credits: 

字幕翻訳:桜井まり子
全体監修:中野真紀子・高田絵里