ジョン・ピルジャー「リベラルな報道機関によるプロパガンダと沈黙、民主主義の圧殺」

2007/8/7(Tue)
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49分

 オーストラリア出身の著名なドキュメンタリー作家、ベトナムや東チモールやなどで数々の真実を暴いてきたジョン・ピルジャーは、2007年8月にシカゴの社会主義会議で行った講演で、企業利益を代弁する商業メディアの支配にいつにもまして痛烈な批判を浴びせています。その論調は、N・チョムスキー&E・ハーマンのメディア論を髣髴とさせ、なるほど同じ体験を経てきた同時代人なのだと思わされます。

 「プロのジャーナリズム」という言葉は、一市民による情報提供とは一線を画し、責任のある報道を行う信頼すべき専門家のイメージを掻きたてますが、その内実はどのようなものでしょうか。ピルジャーによれば、「プロのジャーナリズム」の歴史は100年にも満たず、広告システムの誕生に即して、それに対応するために作り出された概念です。それが意味するところは、広告主の信頼を得られるように、公認の情報源が出すニュースで紙面を埋め尽くす手腕のことです。そんなものが「公正中立で偏りのない」リベラルな報道であるという神話が「ジャーナリズム教育」を通じて定着し、メディアを通じた表現の自由を一定の枠内にとどめる働きをする仕組みになっている。一定の事実はけっして報じられず、歴史にも残りません。メディアの沈黙による最大の秘密は、いまも続く帝国主義支配とその膨大な数の犠牲者のことだ、とピルジャーは述べます。

 こうした「プロのジャーナリズム」が奉じる思想がリベラリズムです。ピルジャーによれば、これほど強力で危険なイデオロギーは他にない。自らをイデオロギーとみなさず、現代文明社会の自然な中心点をなす普遍的な価値観と考え、これという限定がないため、この価値観に抵抗するのは難しい。でも少なくとも民主主義と混同してはならず、むしろ強力なプロパガンダによって民主主義の権利を手放すことになりかねない危険性を持つと彼は警告します。自由主義の出自は19世紀の特権階級のカルトなのですから。

 ピルジャーによれば、普遍的な価値とされてきたリベラル・デモクラシーは、しだいに企業による独裁政治の一形式へと変容しつつあります。「この歴史的な大転換が進むとき、外見を繕い真実を隠蔽する道具としてメディアが機能するのを許してはならない。メディアそのものが、大衆的な関心を呼ぶ緊急の大問題として論争にさらされ、直接行動のまとになるべきだ。大多数の人々が真実を知らされず、真実という観念を奪われたなら、その時には"言葉のバスティーユ監獄"が襲撃される、と『コモンセンス』を著した米独立革命の思想家トマス・ペインは警告しました。その時は、今なのです」。(中野)

★ DVD 2007年度 第5巻 「2007年12-08年1月」に収録

2007.06.07 デモクラシー・ナウ!ドキュメンタリー映画監督、ジョン・ピルジャーが新著Resisting the Empire(帝国への抵抗)を出版 イスラエル、パレスチナ、ディエゴガルシア島、中南米、南アフリカにおける解放闘争について語る(英語)

ゲスト: 
" ジョン・ピルジャー (John Pilger) 独自の取材方法で有名なイギリスで活躍するオーストラリア出身のジャーナリスト、ドキュメンタリー映画作家。50本以上のドキュメンタリーを制作し、戦争報道に対して英国でジャーナリストに贈られる最高の栄誉「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」を2度受賞、記録映画に対しては、フランスの国境なき記者団賞、米国のエミー賞、英国のリチャード・ディンブルビー賞などを受賞している。ベトナム、カンボジア、エジプト、インド、バングラディッシュ、ビアフラなど世界各地の戦地に赴任した。著書には『世界の新しい支配者たち』(岩波書店)など多数の著書がある。最新の著作はFreedom Next Time: Resisting the Empire(『次こそ自由を──帝国への抵抗』)で、アフガニスタン、ディエゴガルシア島、インド、パレスチナ、南アフリカの現状などについて書いている。 

Credits: 

字幕翻訳:宮前ゆかり 中野真紀子 
全体監修:中野真紀子

*このセグメントは、宮前ゆかりさんによる日本語の完全翻訳版がTUP通信で配信されています。→ こちらをご覧下さい