チョムスキーとジン、異例の共同インタビュー ベトナムからイラクへ 後編
ボストン発のデモクラシー・ナウ!の特別配信です。アメリカの独立戦争が始まったレキシントンの戦いを記念して、マサチューセッツ州では4月16日が「愛国記念日」という祝日です。この日、ボストンに住む反戦運動の大御所ノーム・チョムスキーとハワード・ジンが、ふたりそろってインタビューに応じるという豪華な場面が実現しました。二日間に分けて放送された共同インタビューの第一弾では、ベトナム戦争とイラク戦争の相似点、イスラエル=パレスチナ問題について、長年アメリカの市民運動にかかわり続けた二人ならではの、重みのある発言が聞けます。
圧巻はベトナム戦争の体験です。番組中に語られるように、二人とも当時北ベトナムやインドシナを訪れたことがあります。現地で見たことをもとに、当時のマスコミが伝えなかった事実を本に書きました。チョムスキーの著作には、北ベトナムへの爆撃を停止した米国が、じつはひそかに隣国のラオスやカンボジアを空爆し、CIAが現地で雇った傭兵を使って地上戦も行なっていたこと、カンボジアに空前の爆撃を行い農村社会を壊滅させたことが、後のポルポト派によるジェノサイドの下地を整えたことが克明に語られてます。
北ベトナムへの攻撃ばかりが抗議の対象になっていましたが、実際にアメリカが最も激しく破壊したのは南ベトナムの農村でした。国際社会に声を持たない南の農村社会をやりたい放題に攻撃しながら、アメリカは共産主義勢力の侵略から南を救うのだと主張していました。撤退すれば内乱や大惨事が起こるとして何年も居座りつづけ、その間に数万人の米兵と百万人のベトナム人が無駄に命を落としました。この論調は現在のイラク戦争に対するものと酷似しています。
ベトナム戦争を最終的に終結させたのは、キッシンジャーのような政治家ではなく国民の反抗だったようです。特に軍隊内部の激しい抵抗とモラルの低下が、占領軍を維持することを不可能にしたのだと、ジンは指摘します。イラクにおいても、撤退を実現させるのは国民の反対の声でしょうが、開戦前に世界的にもりあがった反対運動は、戦争開始と共に急速にしぼんでしまいました。それでも現在の反戦の声は、60年代当時に比べてずっと強いのだと、二人は指摘します。(中野)
★ ニュースレター第3号(2008.10.25)
2007.04.17 デモクラシー・ナウ!ノーム・チョムスキー氏、アラン・ダーショウィッツ氏を非難:ドボール大学におけるノーマン・フィンケルスタイン氏の終身在職権取得を阻止する“聖戦”開始で(英語)
2007.04.17 デモクラシー・ナウ!ハワード・ジン氏: ソローの忠告を聞き、権力に対抗するよう米兵らに訴える(英語)
ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky) マサチューセッツ工科大学(MIT)言語学名誉教授。言語学者としては1950年代に生成文法の提唱で言語学に革命をもたらしたことで有名だが、60年代にベトナム戦争に反対して政治活動に乗り出し、社会思想家、政治活動家としても合衆国の左派を代表する人物の一人となった。関連と米外交政策関連の著作ともに膨大な数に達する。メディアに関してもエドワード・ハーマンとの共著があり、その思想と生涯がカナダの記録映画「ノーム・チョムスキーとメディア」に詳細に描かれている。
ハワード・ジン(Howard Zinn) ボストン大学名誉教授。アメリカで最も読まれている歴史学者。彼の古典的名著『民衆のアメリカ史』は150万部を売り、アメリカの歴史教育を変えたといわれる。
字幕翻訳:佐藤真喜子
全体監修:中野真紀子 高田絵里