デイリーニュース

  • 「あの国には隠された事実がある」: 釈放されたジャーナリストが語るシリアでの拘束とアサド政権の弾圧

    アルジャジーラの記者ドロシー・パルバズは、4月末にシリアの民衆蜂起を現地取材するためダマスカスに入った直後から、19日間行方不明になりました。パルバズは、シリアの刑務所に拘束され尋問を受けましたが、そこで民主化要求をおこなっている人々への虐待を目撃しました。その後パルバズは追放された先のイランで再び拘束されましたが、そこで最終的に解放されました。彼女の身に起きた試練と、シリアでの人権の危機的な状況についてパルバズに聞きます。

    dailynews date: 
    2011/6/2(Thu)
    記事番号: 
    2
  • イエメン全土に衝突広がる 高まる内戦の恐れ

    アリ・アブドラ・サーレハ大統領の辞任拒否をめぐる紛争が激化、イエメン全土で衝突が続いています。首都サヌアでは、一晩の衝突で少なくとも15人が死亡したと報道されました。30日に、砲撃と機関銃発砲によって、48時間続かなかった休戦が破られて以来、数十人の死者が出ています。サヌアにいるタイムズ・オブ・ロンドン紙のアイオナ・クレイグがレポートします。

    dailynews date: 
    2011/6/2(Thu)
    記事番号: 
    1
  • セラヤの帰還:ホンジュラスでは和解も民主主義もほど遠く

    マヌエル・セラヤの帰還でホンジュラスでは国内の和解と米州機構への再加入という期待が高まっています。しかしアメリカン大学の教授としてホンジュラスで広範囲にわたって研究をしてきたエイドリアンヌ・パインは、同国内は和解などにはほど遠く、2009年6月のクーデター以降数カ月間と同じような状況だと言います。「和解が為されるためには、まずは正義が為されなくてはならない」とパインは言います。「今進行中の国家暴力を終わらせる必要があるのです」

    dailynews date: 
    2011/6/1(Wed)
    記事番号: 
    4
  • ホンジュラスの元閣僚:セラヤ追放のクーデターで米国が中心的役割を果たしたことは疑いの余地なし

    民主選挙で就任したマヌエル・セラヤ大統領が2009年6月28日に覆面兵士たちに拉致され、飛行機に乗せられホンジュラスの米軍基地経由でコスタリカに追放されて以来、命の危険を感じた数百人のホンジュラス人が国外へ亡命しました。セラヤ政権の文化相だったロドルフォ・パストル・ファスケレもそんな1人です。ホンジュラスを逃れた後、ファスケレはハーバード大学で客員教授としてラテンアメリカ史のコースを教えていました。いまホンジュラスに帰還したファスケレは、米国がクーデター画策を援助したのは間違いないと話します。デモクラシー・ナウ!はセラヤのホンジュラス帰国をリポートしていた先週末、テグシガルパでファスケレにも話を聞きました。

    dailynews date: 
    2011/6/1(Wed)
    記事番号: 
    3
  • セラヤの妻シオマラ・カストロが語る ホンジュラス帰国と噂される自身の大統領選出馬

    セラヤのホンジュラス帰還をめぐる噂の中で最も注目されているのは彼の夫人であるシオマラ・カストロが大統領選挙に立候補するかどうかということです。29日の日曜日の記者会見でセラヤは「いま政治にかかわっているのはファーストレディーの方だ。私はただの普通の一市民」と話しました。ホンジュラスでのデモクラシー・ナウ!のインタビューでカストロは大統領選への展望、亡命生活からの帰還に関する自身の思いを話します。

    dailynews date: 
    2011/6/1(Wed)
    記事番号: 
    2
  • 亡命を終えて(パート2):米国支援のクーデターによる国外追放から2年 ホンジュラスの元大統領セラヤが帰国

    本日もホンジュラスの元大統領マヌエル・セラヤの歴史的な帰国についての報道を続けます。セラヤは2009年6月28日のクーデターで銃を突きつけられて拉致され、コスタリカ行きの飛行機に乗せられて国外追放されました。このクーデターは一部、米国で訓練された2人の将軍も参加して画策されたもので、以来、多くの農民、教師、ジャーナリスト、農園主らが暗殺されてきました。今週、87人の米国議会議員がヒラリー・クリントン国務長官に書簡を送り、治安部隊に対し同国における人権侵害の責任を取らせる措置が始まるまで、ホンジュラス軍および警察への援助を一時停止すべきだと要請しました。セラヤは、テグシガルパにある自宅で、デモクラシー・ナウ!のインタビューに答えて、「国防と治安のための部隊は存在しなければならない」と言います。「しかし、政治的問題でも社会的問題でもそれを正すのに暴力を使うというのは常に最悪の方法だ。貧困や汚職と戦うのは武器ではない。より充実した民主制度なのだ」

    dailynews date: 
    2011/6/1(Wed)
    記事番号: 
    1
  • マヌエル・セラヤ独占インタビュー:ホンジュラスのクーデターにおける米国の役割、ウィキリークス、彼が追放された理由

    2009年の軍のクーデター以来初めて5月28日に自宅に戻ったマヌエル・セラヤは、その後間もなくデモクラシー・ナウ!の独占インタビューに応じました。セラヤから、彼がクーデターの背後に米国が絡んでいると信じる理由、覆面のホンジュラス兵らが彼に銃を突きつけて拉致し、コスタリカ行きの飛行機に乗せ、燃料補給のためにホンジュラスの米軍基地パルメロラに着陸した2009年6月28日に本当には何があったのかについて話を聞きます。「このクーデターは、米国の右派によって仕掛けられたものです」とセラヤは言います。「米国務省は米政府とクーデターとのいかなる関係も常に否定してきましたし、これからも否定し続けるでしょう。しかしながら、すべての証拠が米政府にとって不利なのです。そして、事実上の政権となったクーデター勢力が取った行動の全ては、ホンジュラスにおける米国の産業、軍事、金融政策に都合のよいことばかりでした」。

    dailynews date: 
    2011/5/31(Tue)
    記事番号: 
    4
  • セラヤの娘ピチュが2009年のホンジュラス軍による父親の手荒い拉致を回想

    2009年6月28日早朝、ホンジュラスのテグシガルパにあるセラヤの自宅を覆面の兵士らが襲撃しました。セラヤ元大統領の娘シオマラ・ホルテンシア・“ピチュ”・セラヤは、兵士らが自宅に発砲したときベッドの下に隠れました。クーデターの後、彼女は国外追放になり亡命した彼女は、5月28日まで自宅を目にすることはありませんでした。「銃声を聞いた父は自室から出て私の部屋に来ると、軍隊がやって来るから着替えなさいと言いました」と、ピチュ・セラヤは言います。「銃声やらいろいろ聞こえてきて、父は私に隠れるようにと言ったんです」。

    dailynews date: 
    2011/5/31(Tue)
    記事番号: 
    3
  • セラヤの息子へクター:ホンジュラス国民の抵抗が我々の帰国の道を開いた

    2009年6月28日に軍事クーデターによって国外追放され、このたび帰国することになったホンジュラスの元大統領マヌエル・セラヤに同行している彼の息子へクター・セラヤに話を聞きます。「国外追放からわずか2年で帰国を果たした他の大統領はいないと思います。ホンジュラス国民と祖国における全ての抵抗運動に感謝しています」と、へクター・セラヤは言います。「国民がクーデターに従わず、彼らの権利を求めて闘ったおかげで、我々の大統領を彼の祖国、彼の故郷へと返すことができたのです」。

    dailynews date: 
    2011/5/31(Tue)
    記事番号: 
    2
  • 亡命を終えて:国外追放のホンジュラスの元大統領セラヤが米国支援のクーデターから23ヶ月後に帰国

    デモクラシー・ナウ!は、国外追放されたホンジュラスの元大統領マヌエル・セラヤが、家族と共に約2年間の亡命を終えて帰国する機上の模様を、世界独占放送でお送りします。セラヤの他、追放された元外相パトリシア・ロダス、亡命ホンジュラス人ルネ・ギレルモ・アマダ、コロンビアの元上院議員でセラヤの帰国に付き添った、たくさんの中南米各国の代表の一人ピエダッド・コルドバからも話を聞きます。また、米国ジョージア州の軍事訓練学校を監視する団体スクール・オブ・ジ・アメリカズ・ウォッチ(School of the Americas Watch)のロイ・ブルジョワ神父に、2009年のクーデターで米軍が訓練した将校らが果たした役割について話を聞きます。「ホンジュラスの軍事クーデターはスクール・オブ・ジ・アメリカズ(SOA)と密接に関連しています。軍事クーデターの立役者である二人の司令官、空軍と陸軍のトップは、二人ともSOAの卒業生でした」とブルジョワは言います。

    dailynews date: 
    2011/5/31(Tue)
    記事番号: 
    1

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