反戦

 2003年3月19日(日本時間20日)に、米国はイラクに侵攻しました。5周年を迎えた今年、デモクラシー・ナウ!では、イラクとアフガニスタンで続く占領統治下で米兵たちが目撃した米軍の残虐行為を訴える、「冬の兵士」集会をリポートしました。 2003年3月19日(日本時間20日)に、米国はイラクに侵攻しました。5周年を迎えた今年、デモクラシー・ナウ!では、イラクとアフガニスタンで続く占領統治下で米兵たちが目撃した米軍の残虐行為を訴える、「冬の兵士」集会をリポートしました。いずれ掲載する予定ですが、まずは、昨年の3月17日にワシントンで開催された「イラク侵攻4周年」の大集会の模様をお伝えします。この集会では、氷点下の寒さをはねつけて数千人が結集し、ベトナム戦争の戦没者記念碑付近から国防総省までデモ行進しました。(19分)
 芸術家、音楽家、平和活動家として活躍するオノ・ヨーコ。「ジョン・レノンの妻」として扱われがちですが、このセグメントでは、ヨーコ自身の魅力を48分間ご覧いただきます。また、12月8日から日本でも公開されているドキュメンタリー映画『アメリカ対ジョン・レノン』についても、ヨーコに語っていただきます。ジョンの誕生日(10月9日)から命日(12月8日)までのみ空に光を放つ「イマジン・ピース・タワー」。そんなモニュメントを、オノ・ヨーコがアイスランドに作り、10月に除幕式を行いました。 (18分)
 芸術家、音楽家、平和活動家として活躍するオノ・ヨーコ。「ジョン・レノンの妻」として扱われがちですが、このセグメントでは、ヨーコ自身の魅力を48分間ご覧いただきます。また、12月8日から日本でも公開されているドキュメンタリー映画『アメリカ対ジョン・レノン』についても、ヨーコに語っていただきます。ジョンの誕生日(10月9日)から命日(12月8日)までのみ空に光を放つ「イマジン・ピース・タワー」。そんなモニュメントを、オノ・ヨーコがアイスランドに作り、10月に除幕式を行いました。 (30分)
 「イマジン」「平和を我らに」などパワフルな反戦運動の"聖歌"をつくったジョン・レノンは、どんな人物だったのか?レノン暗殺25周年の2005年12月5日に放送された番組で、彼の政治性とアメリカの反戦平和運動における影響力をみなおします。ゲストは、FBIの「レノン文書」を追究し、映画「PEACE BEDアメリカVSジョン・レノン」にも資料を提供した歴史学者のジョン・ウィナー。レノンの反戦平和運動への積極的な関与が、アメリカ政府から国外退去命令を受けるまでに危険視された経緯を説明します。また、フォーク歌手ピート・シーガーが、レノンの歌がいかに大群衆を動かす飛びぬけた力を持つかを語ったテープや、ラディカルな活動家としてのジョンとヨーコについて、彼らと共闘した故アビー・ホフマンが語った貴重なインタビューも聞けます。 (39分)
 ジョン・バティスト陸軍少将は、31年間も米軍に仕えたエリート軍人でした。イラク駐留米軍将校の中で第2位の高官にあたる中将への昇進を勧められるまで昇り詰めたのですが、この戦争の進め方に反対して、退役することを選んだのです。彼はCBSニュースでニュースコメンテーターを勤めていましたが、イラク・アフガン退役軍人によって設立された政治活動委員会VoteVets.orgのコマーシャルでブッシュ政権の戦略を批判した後、CBSはバティスト氏を解雇。そのことに抗議した活動家団体MoveOn.orgがバティストの再雇用を求める嘆願書に署名を呼びかけたところ、23万人もの署名が集まりました。(19分)
 ジョン・バティスト陸軍少将は、31年間も米軍に仕えたエリート軍人でした。イラク駐留米軍将校の中で第2位の高官にあたる中将への昇進を勧められるまで昇り詰めたのですが、この戦争の進め方に反対して、退役することを選んだのです。彼はCBSニュースでニュースコメンテーターを勤めていましたが、イラク・アフガン退役軍人によって設立された政治活動委員会VoteVets.orgのコマーシャルでブッシュ政権の戦略を批判した後、CBSはバティスト氏を解雇。そのことに抗議した活動家団体MoveOn.orgがバティストの再雇用を求める嘆願書に署名を呼びかけたところ、23万人もの署名が集まりました。(30分)
ボストン発のデモクラシー・ナウ!の特別配信です。アメリカの独立戦争が始まったレキシントンの戦いを記念して、マサチューセッツ州では4月16日が「愛国記念日」という祝日です。この日、ボストンに住む反戦運動の大御所ノーム・チョムスキーとハワード・ジンが、ふたりそろってインタビューに応じるという豪華な場面が実現しました。二日間に分けて放送された共同インタビューの第一弾では、ベトナム戦争とイラク戦争の相似点、イスラエル=パレスチナ問題について、長年アメリカの市民運動にかかわり続けた二人ならではの、重みのある発言が聞けます。圧巻はやはりベトナム戦争の体験です。番組中に語られるように、二人とも戦争当時ベトナムやインドシナを実際に訪れたことがあり、そこで目撃したものに大きな衝撃を受け、著作にも残しました。(16分)
ボストン発のデモクラシー・ナウ!の特別配信です。アメリカの独立戦争が始まったレキシントンの戦いを記念して、マサチューセッツ州では4月16日が「愛国記念日」という祝日です。この日、ボストンに住む反戦運動の大御所ノーム・チョムスキーとハワード・ジンが、ふたりそろってインタビューに応じるという豪華な場面が実現しました。二日間に分けて放送された共同インタビューの第一弾では、ベトナム戦争とイラク戦争の相似点、イスラエル=パレスチナ問題について、長年アメリカの市民運動にかかわり続けた二人ならではの、重みのある発言が聞けます。圧巻はやはりベトナム戦争の体験です。番組中に語られるように、二人とも戦争当時ベトナムやインドシナを実際に訪れたことがあり、そこで目撃したものに大きな衝撃を受け、著作にも残しました。(37分)
 2007年5月、ジョージ・W・ブッシュ大統領の支持率はついに30%を下回りました。イラク侵攻の根拠「捏造」、CIA工作員の身元漏洩、「テロとの戦い」における違法盗聴や拘束者への拷問‥。あと1年余りの任期を残すこの政権のスキャンダルはとどまるところを知りません。そんな中、イラク戦争での息子の戦死をきっかけに反戦運動を開始し、「反戦の母」と呼ばれるようになったシンディ・シーハンがブッシュ大統領、チェイニー副大統領の弾劾運動に加わりました。 2006年の選挙で民主党が下院の多数派となり、カリフォルニア州選出のナンシー・ペローシー議員が下院議長に任命されましたが、彼女は、ブッシュ政権を厳しく監視していくが弾劾を議題としては取り上げないと明言しました。これに対してシーハンは、ペローシーが弾劾を推し進めないならば、次回選挙で彼女の選挙区から対抗馬として立候補すると宣言しています (32分)
 シンディ・シーハンは2004年4月4日に、当時24歳だった長男のケーシー・シーハンをバグダッド郊外サドルシティで亡くしました。ケーシーは軍用車のメカニックとして駐留していました。 息子を失ったあと、シーハンは戦争の正当性に、アメリカの親たちが若い子供たちを奪われることの正当性に、疑問を投げかけ、米政府の責任者との面会を求め続けました。 彼女が一躍マスコミの注目を浴びるようになったのは、キャンプ・ケーシーと名づけられたテキサスでの座り込み行動からです。テキサス州クロフォードの郊外にブッシュ大統領が所有する農場の外で、大統領との直接面会を求めて1ヶ月間の座り込みを行ったのです。大統領はイラクからの全面即撤退を主張するシーハンとの面会を拒否しましたが、このキャンプは全米、そして全世界から注目され、集まってきた賛同者とマスコミで日々膨れ上がり、シーハンを世界的な反戦リーダーに押し上げました。 (16分)