チリ・クーデターから40年 ビクトル・ハラの遺族が米国で容疑者を提訴

放送日: 
2013/9/9(月)
再生時間: 
24分

2013年9月11日はもうひとつの9.11の40年目の記念日です。40年前のこの日、米政府が支援を受けた軍事クーデターにより、民主的に選ばれたチリ人民戦線政権のサルバドール・アジェンデ大統領は命を落とし、首謀者のアウグスト・ピノチェト(本来の発音は「ピノシェ」または「ピノチェ」)将軍による17年間の恐怖政治が始まりました。ピノチェトは左翼や労働運動、人権運動の活動家を徹底的に弾圧する一方、特にサッチャー英首相とニクソン・レーガン両米大統領の忠実な同盟者として極端な新自由主義「改革」を行い冷戦体制にあった西側諸国では「優等生」として称賛を得ました。クーデター直後に暗殺されたチリの伝説的な歌手ビクトル・ハラの妻でゲストのジョアン・ハラは、40年前にハラを殺害したとされる元軍人ペドロ・パブロ・バリエントスを米国で訴えています。バリエントスは在米歴約20年で米国籍を持っているため、ハラの遺族は国外で起きた人権侵害を米国の裁判所で審理することを認める連邦法に基づいて提訴しました。

チリの検察当局は2012年、ハラ殺害事件でバリエントスと別の1人を主犯、その他6人を共犯者として提訴しました。ハラの遺族による提訴に協力した「正義と責任協会」(Center for Justice and Accountability)所属のアルムデナ・ベルナベウ弁護士にも話を聞きます。「そこには数百体の遺体がありました。文字どおり数百体です。高々と積み上げられていました。そこは実際には遺体安置所の駐車場だったと思います」とジョアン・ハラは、夫の遺体を40年前に見つけたときのことを証言します。「遺体を確認した時、夫が何をされたのか分かりました。銃傷がいくつもありました。遺体は酷い状態でした。でも私の例はまだましな方だったと考えています。どういうことかと言うと、ビクトルの身に起きたことに向き合わなければならなかったけれど、その時の気持ちを力にして証言することができたからです。愛する者の身に何が起きたのかまるで分からないままでいることの恐怖よりもずっとましだと思います。多くの家族、多くの女性が過去40年間、強制失踪させられた愛する人の行方を探し続けているのです」。ピノチェト軍政が定めた憲法は今もそのままで、軍政下の残虐行為の責任者の追跡はようやく緒についたばかりです。[敬称略](斉木裕明)

ゲスト

*ジョアン・ハラ (Joan Jara):英国出身。1973年9月11日のチリ・クーデター時に夫でチリの国民的歌手だったビクトル・ハラを虐殺される。ハラは拷問されてギターが弾けないように両手を折られ、40発を超える銃弾を撃ち込まれた。1984年、亡夫を追悼して著書『ビクトル・ハラ 終わりなき歌』を出版。

*アルムデナ・ベルナベウ(Almudena Bernabeu):「正義と責任協会」所属の弁護士で、同協会の「移行期における司法」プログラム責任者。

字幕翻訳:斉木裕明 校正:桜井まり子

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