クーデター

デイビッド・タルボットに新著『悪魔のチェスボード:アレン・ダレス、CIAとアメリカの隠された政府の隆盛』について聞きます。後半のインタビューでは、アメリカ近代史最大の謎、ケネディ大統領暗殺にも踏み込んで触れています。アイゼンハワー大統領時代にCIA長官に任命されたアレン・ダレスは、ケネディ政権の下でもその地位にとどまり、若い大統領をないがしろにして暗殺や破壊工作を続け、次第に疎まれるようになりました。(17分)
1950-60年代、というと、遠い過去のことのように感じるでしょうか。しかし、この時代にCIA長官アレン・ダレスが行ったことは、現在のアメリカそして世界に暗く長い影を落としています。米国諜報機関による自国民や同盟国民の盗聴、監視活動、マインドコントロール、拷問、誘拐−これらのことは、911以降に始めたものだと私たちは捉えてしまいがちですが、実はダレス長官時代、1950-60年代にすでに政権転覆のために行われていました。デイビッド・タルボットに新著『悪魔のチェスボード:アレン・ダレス、CIAとアメリカの隠された政府の隆盛』について聞きます。(10分)
今月10日夜に開かれた米州首脳会議(SOA)では初めてキューバの参加が実現し、カストロ・オバマの首脳会談が脚光を浴びました。しかし、その影で不協和音を奏でていたのが米国とベネズエラの緊張です。昨年12月以来米・キューバ関係が正常化に向けて迅速に進んだのと同時進行で、米国とベネズエラとの関係は急速に悪化しています。3月にオバマ大統領はベネズエラを「国家安全保障と外交政策を脅かす重大な脅威」に分類し、人権侵害などを理由に7人の政府高官を制裁リストに追加する大統領令を発しました。これに対しマドゥロ大統領は議会に対し、「帝国主義から国を守る」ための権限拡大を要求しました。オバマ大統領が歴史的なキューバとの関係修復に踏み切ったのは、キューバの参加をみとめない米国の頑なな態度によって米州サミットが紛糾し、このままでは今年のサミット開催も危ぶまれる孤立状態に追い込まれたからです。しかし、キューバを孤立させようとして逆に自らを孤立させたと気づいたのなら、なぜ今またベネズエラに制裁措置をとり、中南米諸国の反発を招くような行動に出るのでしょうか。(19分)
ウクライナ危機をめぐっては、米国とロシアが互いに相手側の干渉をなじって議論はまったくの平行線です。3月初めに行われた番組討論会は、その典型的なものです。ロシア軍が海軍基地のあるバラクラバを制圧し、クリミアからは一歩も引かない構えを示してから一気に緊張が高まりました。(35分)
2014年2月、ウクライナのヤヌコビッチ政権が崩壊しました。前年11月、ヤヌコビッチ大統領は欧州連合(EU)との貿易協定を撤回し、EUと関係を深めたい親欧派による抗議デモが勃発しました。当初は市民による呼びかけだったデモは、たちまち数万人規模のデモになり、武装したデモ隊と治安部隊の衝突が頻発するようになります。2月20日、衝突は死者90人以上を出す大惨事となり、ヤヌコビッチ政権は崩壊しました。反体制デモの中心となった野党勢力には「自由(スヴォボダ)」などのネオナチ・右翼勢力も含まれており、この急進的な勢力が暴徒化したと言われています。(23分)
2013年9月11日はもうひとつの9.11の40年目の記念日です。40年前のこの日、米政府が支援を受けた軍事クーデターにより、民主的に選ばれたチリ人民戦線政権のサルバドール・アジェンデ大統領は命を落とし、首謀者のアウグスト・ピノチェト(本来の発音は「ピノシェ」または「ピノチェ」)将軍による17年間の恐怖政治が始まりました。ピノチェトは左翼や労働運動、人権運動の活動家を徹底的に弾圧する一方、特にサッチャー英首相とニクソン・レーガン両米大統領の忠実な同盟者として極端な新自由主義「改革」を行い冷戦体制にあった西側諸国では「優等生」として称賛を得ました。クーデター直後に暗殺されたチリの伝説的な歌手ビクトル・ハラの妻でゲストのジョアン・ハラは、40年前にハラを殺害したとされる元軍人ペドロ・パブロ・バリエントスを米国で訴えています。バリエントスは在米歴約20年で米国籍を持っているため、ハラの遺族は国外で起きた人権侵害を米国の裁判所で審理することを認める連邦法に基づいて提訴しました。(24分)
チリで9.11と言えば、1973年の軍事クーデターを指します。米国の支援を受けたピノチェト将軍が、民主的に選挙で選ばれたアジェンデ政権を倒した日です。それ以降、チリでは独裁政権が反対派の誘拐や虐殺を繰り返して国民を恐怖に陥れ、その一方でシカゴ学派の主張に沿った新自由主義経済政策が徹底的に推進されました。このショックドクトリンの最初の「実験」は、その後、IMFの手動でバブル崩壊後の中南米全体に広がり、大多数の国民を困窮させて、現在の中南米のアメリカ離れの種を撒くことになりました。今ではそれが全世界に拡大していますが、今日の私たちが直面する問題の先駆けとなった事件として、チリ・クーデターの意義は一段と大きくなっています。(17分)
2012年6月、「貧者の司教」として知られるパラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領が、土地をめぐる貧農と治安当局の間に起きた流血の衝突事件をきっかけとして、治安維持に失敗したことを理由に、議会の弾劾を受けて失職しました。ルゴ氏自身はこれを議会によるクーデターと呼び、南米諸国連合(UNASUR)加盟各国も、チリやコロンビアなどの保守政権も含め、パラグアイ国会の動きを一斉に非難していますが、米国のオバマ政権は模様眺めを決め込みました。『アメリカ帝国のワークショップ』の著者でニューヨーク大学のグレッグ・グランディン教授(中南米史)に伺います。(17分)
モルディブ共和国は1000を超える島々からなる国です。1965年英国保護国から独立し、現在は英連邦に属しています。2008年モルディブ初の民主選挙が行われ、1978年以降独裁政治を行ってきたマウムーン・アブドゥル・ガユーム大統領を下してモハメド・ナシード氏が大統領に就任。しかし2012年1月、刑事裁判所の判事の逮捕を発端として、ナシード大統領の辞任を求めるデモが3週間にわたって続き、ナシード大統領は辞任を表明、後任にワヒード副大統領が就任しました。しかしナシード大統領は「銃で脅かされて追放された」クーデターだと主張しています。(26分)
2009年6月28日、ホンジュラスのマヌエル・セラヤ大統領が自宅から拉致され、米軍基地経由でコスタリカに追放されました。これをうけてミチェレティ国会議長が暫定政府大統領に就任。セラヤ大統領は内外の支援を得て帰還を試みますが失敗に終わり、09年11月の大統領選でロボ国民党候補が大統領に就任しました。セラヤはドミニカ共和国に亡命、2011年ベネズエラなどの仲介を経てロボ政権と「カルタヘナ合意」を結び帰国しました。ホンジュラスの2009年クーデターの背景を当時の文化相ロドルフォ・パストル・ファスケレが話します。(18分)