国連決議を踏みはずしたNATOと米国によるリビアへの軍事介入
チュニジアとエジプトで民主化蜂起が続く2011年2月15日、リビア東部のベンガジでも反政府デモが起きました。デモ隊に発砲するなど武力鎮圧に出たカダフィ政権に対し、国連安全保障理事会は3月17日、飛行禁止区域設定を盛り込んだ決議案を採択。この国連安保理決議には、住民を保護するため「あらゆる必要な措置」を取ると書かれており、この2日後、人道的介入を名目にNATO軍がリビアに空爆を開始しました。しかし「あらゆる必要な措置」という安保理決議を口実にしたとはいえ、主権国家に空爆をする行為が人道支援になるのでしょうか。
リビア(西部トリポリタニア、フェザーン、東部キレナイカ)は16世紀以降、オスマン帝国の支配を受け、1912年オスマン帝国がイタリアとの戦争に負けると、イタリアの植民地となりました。しかしリビアには19世紀に勢力をつけたイスラム改革運動サヌーシー教団の抵抗運動が組織されており、イタリアはこれに苦しむことになります。第二次世界大戦後、リビアの3地区は連合王国として独立し、初代国王となったのがサヌーシー教団の指導者サイイド・イドリースでした。しかし独立後、米英仏に軍事基地を提供し、石油メジャーと結びついて石油開発をするなど、国王イドリースには抵抗運動指導者としての性格はありませんでした。外国資本と結びついたイドリース王制打倒をかかげたのがカダフィでした。
1969年無血クーデターで政権を掌握したカダフィは、反帝国主義を掲げ、英米の基地を撤去、アラビア語使用を徹底させ、直接民主制をめざしました。しかしイスラム社会主義と呼ばれる彼の政策は、欧州・アラブの王制とは相いれず、対立を深めていきます。
独裁者として知られるカダフィですが、国連の統計(2005年―2010年)によると、カダフィ政権下の乳幼児死亡率は世界で79位、アフリカでは最低となっています。国連がまとめた2010年度人間開発指数によると、リビアは所得以外の要素で見た場合の指数の伸びで世界4位となっています。
フィリス・ベニスは、軍事介入の目的は人道支援ではなく、体制転覆だと言います。欧米にとって「アラブの春」は、50年来米国が支援してきた独裁体制の終わりを意味します。それでも中東地域の支配を継続するために、欧米はそれを可能にしてくれる新しい体制を模索しているのだと言います。
ベニスはまた、今後の予想として、「戦局の行き詰まりが長引き、リビアが2つに分裂し、豊富な資金を溜め込んだカダフィがリビア西部の支配権を維持、油田のある東部は米英仏の保護国状態になります」と言っていますが、その後の展開はまさにそのような様相を呈しています。ベニスが、「東部は欧米の保護国状態になる」というのも、王制時代の背景があるからのようです。(桜井まり子)
*フィリス・ベニス(Phyllis Bennis) 政策研究所フェロー。『国連を支配するアメリカ―超大国がつくる世界秩序』など著作多数
字幕:桜井まり子/全体監修:中野真紀子/サイト作成:丸山紀一朗