ルムンバ暗殺から50年 コンゴ独立の苦難

2011/1/21(Fri)
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11分

1960年、コンゴは春を迎えたはずでした。豊かな天然資源にめぐまれ「アフリカの宝石」と呼ばれながらも、19世紀末以来、まずはベルギーのレオポルド王個人の領地として、その後はベルギーの植民地として、象牙やゴム、ダイヤモンドなどの莫大な富を吸い上げられ、残虐な扱いを受けていた人々が、ついに独立を勝ち得たのです。独立運動の若き指導者、パトリス・ルムンバが民主的な選挙で首相に選ばれ、コンゴは理想主義と希望にわきあふれるかに見えました。だが、政権は10日も続かず、クーデターで追われたルムンバは逮捕され、翌1961年1月17日に惨殺されます。35歳の若さでした。
裏で糸を引いたのは、ベルギーと米国だと言われています。ルムンバは、汎アフリカ主義を唱え、統一コンゴを構想していました。世界の銅の生産量の約70%を産出するカタンガ州もコンゴの一部だと主張しました。政治だけでなく経済的にも自立した独立がルムンバの信念でした。ルムンバ暗殺は、そうはいかないと告げました。ベストセラー『レオポルド王の亡霊:植民地アフリカのどん欲、恐怖、ヒロイズムの物語』の著者、アダム・ホックシールドによると、欧州の植民地大国、そして米国にとってアフリカの独立は、欧州勢が既存の利権を保持することができるという条件付きでした。政治はくれてやろう、でも経済は渡さない。また、冷戦のさなかにあった米国にとっては、人民や第三世界の経済的権利を説くアジア・アフリカ諸国は、ソ連よりの危険な国を意味したのです。独立は果たしても、新しい形態の植民地主義は消えませんでした。形を変えて、20世紀を生き延びたのです。ルムンバ暗殺は、この新たな植民地主義の到来を告げる転回点でもありました。ルムンバ暗殺50年を期して放送されたこのセグメントでは、逮捕されたルムンバが寝返った元独立運動の盟友モブツにおとしめられる苦難の映像や、元CIAエージェントによるルムンバ暗殺への米国の関与に関する証言など貴重な映像もみられます。(大竹秀子)

*アダム・ホックシールド(Adam Hochschild)ベストセラーとなったKing Leopold’s Ghost: A Story of Greed Terror, and Heroism in Colonial Africa(『レオポルド王の亡霊:植民地アフリカのどん欲、恐怖、ヒロイズムの物語』)などの著書。最近著は、To End All Wars: A Story of Loyalty and Rebellion, 1914-1918(『全ての戦争をとめるために: 1914-1918忠誠と反逆の物語』)。雑誌『マザージョーンズ』を共同設立。現在カリフォルニア大学バークレー校大学院でライティングを教えている。

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字幕翻訳:玉川千絵子/校正:大竹秀子/全体監修:中野真紀子/ウェブ作成:丸山紀一朗