35年の占領:西サハラ人の抵抗キャンプをモロッコ治安部隊が弾圧

2010/11/15(Mon)
Video No.: 
2
17分

2010年11月13日、スペイン・マドリードで、モロッコ治安部隊による西サハラでの弾圧に抗議して数千人規模のデモが行われました。なぜ、スペインで?国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの緊急事態担当ディレクター、ピーター・ブッカートと『西サハラ:戦争、ナショナリズム、出口の無い衝突』(日本語仮題)の著者でもあるスティーブン・ズーヌス・サンフランシスコ大学教授と、70カ国以上に承認されながら、35年にもわたり独立の悲願を果たせずにいる西サハラの知られざる歴史と現状を語ります。

西サハラの苦難にはこんな歴史があります。北アフリカ、サハラ砂漠の西端部、大西洋に臨む地域には、サラウィと呼ばれる遊牧民が住んでいましたが、19世紀後半以来、スペインの保護領にされてしまいました。1975年にスペインは領有権を放棄し、住民投票を約束しました。ところが、西サハラ住民の支持を得て左派勢力が政権につくことを嫌った米国が圧力をかけたため、スペインは約束を反故にし、親欧米国のモーリタニアとモロッコに、西サハラの南部と北部を領有させてしまいました。

国連決議はモロッコ・モーリタニア軍の即時撤退とサラウィの自決権承認を要求しましたが、米仏は決議の行使を妨害しました。西サハラでは1973年に抵抗勢力「ポリサリオ戦線」が設立され活動を開始していましたが、モロッコ軍の侵攻でアルジェリアに逃れ1976年にサハラ・アラブ民主共和国として独立を宣言。アルジェリアから武器および経済的支援を受けて武装闘争を開始しました。1979年にはモーリタニアが敗北を認め、停戦協定が成立し、同国が支配していた南部を放棄したのですが、モロッコが併合してしまいました。

それでも1982年までにはポリサリオ戦線はゲリラ戦で領土の85%近くまで解放していました。ところがその後、4年間にわたる米仏のモロッコ支援の劇的な増加で戦況は逆転してしまいます。時のレーガン政権は、特殊部隊の派遣や軍事訓練による大規模な支援を行い、地雷原と軍事施設を併設し、西サハラの3分の2を囲い込む「砂の壁」の建設を助けました。またモロッコ政府は、さまざまな恩典を与えてモロッコ人の西サハラへの入植を奨励したため、1990年代初期までには、西サハラではモロッコ人入植者の数がサラウィの人口の2倍以上になってしまいました。

1988年にモロッコが住民投票の受け入れを了承し、1991年4月、国連の仲介でモロッコとポリサリオ戦線は停戦に合意しましたが、投票権を持つ「西サハラ住民」の定義をめぐる問題で折り合いがつかず、住民投票の延期が繰り返されました。2003年になるとポリサリオ戦線は、5年間の暫定自治を経て、独立・自治・モロッコ統合のいずれかを選択する「西サハラ人民の自決のための和平プラン」を受諾しましたが、モロッコは独立を選択肢にもつ住民投票という構想を拒否し、自治のみが唯一の解決であるとし、この和平プランを正式に拒否しました。

ズーヌス教授によると、1980年代の間に、自由を求める西サハラの運動では、ポリサリオ戦線の旧来の武装闘争は背後に退き、非武装の民衆の抵抗運動が力を得るようになりました。モロッコ政府のモロッコ人入植者への露骨な優遇が続くなか、2010年夏、サラウィの活動家たちは大都市アイウン郊外に抗議のためのテントシティを設置しました。自治や独立を声高に叫んでは弾圧されるのが目に見えていたので、経済上の正義の要求を前面に大規模な抗議活動を開始したのです。しかし、そんな穏健な要求すら容認しないモロッコの治安部隊の手で抗議キャンプは無残にも襲撃されつぶされてしまいました。

サラウィたちによるストライキやボイコットなど非暴力な抵抗運動(「独立のためのインティファダ」)の有力な指導者の一人がアミナトゥ・ハイダーという女性です。2009年に米国で「市民の勇気賞(Civil Courage Prize)を受賞後、西サハラに戻ろうとしてモロッコから入国を拒否され、カナリア諸島の空港で30日間のハンストを行なった際には、デモクラシー・ナウ!でも報道されました。ズーヌス教授は、今回のデモクラシー・ナウ!のインタビューの中で痛烈なことばを放っています。独立と自由に向けた西サハラの活動は「アラブのムスリム国家で女性の権利と民主主義を求める非暴力の闘争です。それこそ西洋の国々がアラブに求めたものではないのか?それなのに欧米は専制君主を助けて非暴力の抵抗を弾圧させている」。また、こうも言います、「西サハラの唯一の希望は東チモールで見られたような世界の市民社会が団結した国際連帯運動です」。ジャーナリストや人権団体の現地へのアクセスを阻むモロッコのたくらみにも関わらず、西サハラの抗議と弾圧ようすはかろうじて国外にも伝わり、マドリードでのデモで表明された連帯の声は、サラウィに勇気と希望を伝えたようです。(大竹)

*ピーター・ブッカート(Peter Bouckaert)国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチの緊急事態担当ディレクター。西サハラの都市アイウンに滞在中だった。
*スティーブン・ズーヌス(Stephen Zunes)サンフランシスコ大学の政治学・中東研究学教授。国際非暴力紛争センター(the International Center on Nonviolent Conflict)の顧問委員会委員長を務める。最新刊は共著でWestern Sahara: War,Nationalism, and Conflict Irresolution(『西サハラ:戦争、ナショナリズム、出口の無い衝突』)。

Credits: 

字幕翻訳:大竹秀子/校正・全体監修:中野真紀子・丸山紀一朗