2008年ムンバイ襲撃事件の中心人物デイビッド・ヘッドリーの謎
「米国テロリズム史でひさびさの危険で謎めいた人物」デイビッド・ヘッドリーに迫ります。2010年11月インドを訪問したオバマ米大統領は、160人を超える死者を出した2008年のムンバイ同時襲撃事件の中心人物ヘッドリーについて公式の場で一言もふれず、インド市民を失望させました。
日本でほとんど語られることのない、デイビッド・ヘッドリーとは?デイビッド・ヘッドリーは1960年、在米中のパキスタンの外交官を父に米国人を母にして生まれ、ダウード・サイード・ギラーニと名付けられました。両親の離婚後、父親に引き取られパキスタンで育ちましたが、1977年にクーデターでパキスタンの時の政権が倒れた時に母親に迎えられ米国で暮らすようになりました。
ドラッグがらみで1987年に初めて逮捕。米麻薬取締局(DEA)と取引し東海岸でパキスタン系ドラッグ組織と米ディーラーとの取引の捜査に協力するという条件で刑を軽減されました。ところが1997年にパキスタンからのヘロイン密輸で再び逮捕されました。これを機にDEAとのつながりがさらに強まったようでパキスタンに何度も旅し、覆面協力者としてドラッグ組織の監視を行うようになりました。
2000年にパキスタンで過激派民兵組織「ラシュカレタイバ」(2002年非合法組織に指定されました)の指導者に出会い感銘を受け、2002年から2005年の間にDEAの情報提供者として働いていた時期でありながらラシュカレタイバの武装訓練を受けました。2006年には、母親の姓をとってデイビッド・ヘッドリーという名に改名し、これによりパキスタンとは敵対的なインドにもスムーズに入国できるようになりました。米人名の新しいパスポートを使い、2006年から2008年までヘッドリーは何度もインドに旅し、ムンバイ襲撃の現場となる場所を細かく下見するなど、事件の準備に重要な役割を果たしました。
ラシュカレタイバはアルカイダともつながりのある組織ですが、ムンバイ襲撃にはパキスタン軍統合情報局(ISI)の高官、あるいは組織ぐるみの関与も取りざたされています。ヘッドリーは、2009年に預言者モハメッドの戯画を載せたデンマークの新聞社を襲撃する計画がばれて逮捕され、ムンバイ事件への関与が明るみに出ました。
米国への情報提供者がテロの中心人物?米国にとっては晴天の霹靂の事態の筈でしたが、実はとっくにわかっていてよいことでした。米国当局は、はっきりした警告を何度も受けていたのです。最初は2005年。ヘッドリーが妻との喧嘩で逮捕された時、米国人の妻は彼が過激派ラシュカレタイバのメンバーであり、パキスタンで訓練を受けたと当局者に警告しました。また2007年にはモロッコ人の妻が(ヘッドリーには3人の女性と同時に結婚していた時期があり、妻はお互いの存在を知らなかったといわれています)パキスタンの米国大使館に出頭してヘッドリーがラシュカレタイバがらみで怪しい動きをしていると告げ、後にムンバイ事件で襲撃地となったタージマハール・ホテルでヘッドリーが撮影した写真も見せていたのです。
米国はなぜヘッドリーのテロ活動に関する数回の警告を見過ごしたのか。パキスタン情報局と米国法執行機関とのつながりも謎に包まれたままです。いつか真相が明らかになる日が、来るのでしょうか。(大竹)
*セバスチャン・ロッテラ(Sebastian Rotella) 非営利調査報道サイト「プロプブリカ」のシニアレポーター
字幕翻訳:大竹秀子/全体監修:中野真紀子・桜井まり子