「リスナーのための放送局」パシフィカ・ラジオの60年 前編

2009/4/15(Wed)
Video No.: 
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21分

独立放送局の草分けパシフィカ・ラジオの60周年記念番組です。1949年4月15日午後3時、良心的兵役拒否者でカリスマ的な平和活動家ルイス・ヒルがマイクに向かって「こちらはKPFAバークレー放送局です」と第一声を発しました。米国で初めての、リスナーの寄付で支えられた非営利ラジオ局が誕生した瞬間でした。

KPFA立ち上げの中心になったルイス(ルー)・ヒルは強い信念をもったカリスマ的な平和主義者でした。軍人学校に入れられたのに平和主義者となり、第二次大戦中には良心的兵役拒否を宣言し、へき地の収容施設に隔離されてしまいます。その体験から、武力に頼らない解決が可能であると強く社会に訴えるためには、反戦の声を伝える独立したメディアが必要であると確信するに至ります。

また商品宣伝が隅々まで浸透した企業メディア(日本では民放といいます)への反発から、思索の糧としての情報を提供する非営利メディアを、リスナーの寄付によって運営するという考えを思いつきます。PBSやNPRのような公共放送局のネットワークもまだなかった頃の、画期的な思いつきでした。

これまでにないルー・ヒルの試みは幾多の困難に出会いましたが、不安定さを抱えつつもパシフィカは存続し、かけがえのない市民の宝になっていきます。1950年代初期には米国を席巻したマッカーシズムと赤狩りの風潮を切り崩す起爆剤となり、60年代の大学紛争では学生側の声を伝えるほとんど唯一のマスメディアでした。

武力によらない解決のためには「対話」しかありません。でも異なる意見を殺してしまっては「対話」は成立しません。そういう信念から、ベトナム反戦や公民権運動など、抑圧されがちな反体制の声を伝える最後の砦として、パシフィカはゆるぎない支持を獲得していきました。

そんなパシフィカにも市場万能主義の波は押し寄せ、90年代末には系列局の売却計画をめぐり激しい内部紛争が起こりました。理事会が反対派を追放して改革の断行をはかり、なんとパシフィカの中で「対話」が断絶してしまうという大きな危機でした。そのとき、パシフィカの独立性を守ろうと立ち上がったのは、一般のリスナーたちでした。「パシフィカは誰のものだ? 私たちの放送局だ!」と連呼する市民たちの姿は、まさに今は亡きルー・ヒルが夢に見たとおりの姿でした。

60年後の今、米国の商業メディアは危機に瀕しています。ジャーナリストの大量解雇、100年の歴史をもつ新聞社の倒産が相次ぎ、放送局の広告収入も激減しています。こうした中で、株主ではなく市民に奉仕する非営利のジャーナリズムに新しい報道のモデルを求める動きも起こっています。このようなとき、米国最古の非営利放送局の歴史をたどってみるのは、たいへん意義のあることです。べロニカ・セルバーとシャロン・ウッドが制作したドキュメンタリー作品を紹介します。(中野)

★ ニュースレター第18号(2009.9.10)

KPFA on the Air(『KPFA放送中』) パシフィカ・ラジオの歴史を記録したベロニカ・セルバーとシャロン・ウッド制作の映画。ナレーションはピュリッツァー賞受賞作家アリス・ウォーカー。

Credits: 

字幕翻訳:内藤素子・田中泉/校正:桜井まり子
全体監修:中野真紀子・高田絵里