拷問と民主主義 後編
アフガニスタンとイラクの戦争を契機に米軍では拘禁者に対する拷問が広く行われるようになり、国際的な問題になっています。米政府の立場は、米軍が行っている尋問方法は拷問にあたらないというものですが、水責め尋問(Waterboarding)などは、国際的に見て明らかに拷問とされる行為です。今年3月、民主党が多数を占める連邦議会は水責め禁止の法案を可決しましたが、ブッシュ大統領はこれに拒否権を行使し、民主党は法案の再可決に必要な3分の2の賛成を集めることができませんでした。また4月には、このような尋問方法をCIAが採用することを当時の安全保障担当の政府高官が合議の上で許可したことを、承知していたと大統領自身が認めて物議をかもしました。
民主主義のチャンピオンを自負する米国で、政府高官が率先して拷問を推進するという事態は、どう理解したらよいのでしょうか?リード大学で政治学を教えるダライアス・レジャリ氏に拷問の歴史と民主主主義の関係について聞きました。
イラン出身のレジャリ教授は、シャー(国王)が拷問を用いて反対派を弾圧したことが、急進派を人権要求で団結させ、革命に導いたと言います。「拷問」と「民主主義」は一見無縁のように見えますが、実際には民主制の下でも拷問はずっと行われてきたとレジャリ教授は言います。ただし世論の非難をかわすために、目につかないような、痕跡を残さない拷問が発達する。独裁政権は世論の目を気にすることはありません。現在問題になっている水責め、睡眠剥奪、無理な姿勢の強要などの「軽い」拷問は、民主主義体制に典型的なものだと教授は言います。
しかし、そもそも拷問は捜査の手段としてもっとも非効率的なものです。フランスは植民地アルジェリアの独立闘争を弾圧するために拷問を使いました。政府は有効な措置であったと開き直りましたが、その非効率は明らかです。1400人弱のゲリラを逮捕するために24000の拷問令状が出されており、1人を逮捕するために20人の無実の人間を拷問したことになります。これは異常な数字ではなく、教授の見積もりでは、一般的に1人を検挙するのに20-80人弱を逮捕して拷問する必要があるそうです。
それにもかかわらず拷問が行われる理由のひとつとして、レジャリ教授は、裁判における「自白」の重視を挙げています。裁判官が自白の証拠能力を重視すれば、警察や検察はなんとしても自白させようとします。その槍玉に挙げられているのが日本です。日本では犯罪の86%で容疑者がすべてを自白していますが、これは米国い比べると恐ろしく高い。また拘置期間も長い。これが何を意味するか、よく考えてみる必要がありそうです。
レジャリ教授はまた、植民地や遠征先で開発された拷問の手法が、帰還兵によって国内に持ち込まれ、警察や刑務所での尋問に利用されて蔓延するという「しっぺ返し」のサイクルについて触れています。外地の敵に対して行った行為は、いずれ自国民に戻ってくるのです。米国では戦争遂行の民営化と平行して、尋問の民営化も進行しています。これが将来にどのような影響を与えるのか、おおいに懸念されます(中野)。
ダライアス・レジャリ(Darius Rejali) オレゴン州リード・カレッジの政治学教授Torture and Modernity: Self, Society and State in Modern Iran (『拷問と近代 近代イランの自己、社会、国家』)の著者。新著はTorture and Democracy(『拷問と民主主義』)。
字幕翻訳:川上奈緒子 / 校正:斉木裕明
全体監修:中野真紀子