3/11祖国に地震が直撃した時: 日系移民2世Gヤマザワの印象的なポエム「ホーム」

3/11祖国に地震が直撃した時: 日系移民2世Gヤマザワの印象的なポエム「ホーム」

両親の生まれ育った故郷(ふるさと)と呼べる土地が、遥か彼方の何千キロも離れている場所にあったら?もちろん自分が慣れ親しんだ言葉や文化だって、親のそれと違って当然だろう。2国の板挟みになった移民の子供にとって、自分が「故郷」と呼べる国は一体どちらになるのだろうか?

詩人、MC(ラッパー)、仏教徒、サムライ、ティーチング・アーティスト、 日系ノースカロライナ人と名乗る23歳の日系アメリカ人2世、ジョージ・マサオ・ヤマザワ・ジュニア(本名)は、最近の米国のスポークン・ワード界(注*)で若手トップのひとりとして注目されているアーティスト。彼の詩の朗読を記録したYouTubeビデオ、中でも東日本大震災に関して話す動画がソーシャル・ネットワークを駆け巡り、視聴数22,000回を超えるヒットを記録しました。

G Yamazawa(アーティスト名)の両親は1979年に日本から移住した移民1世。米国で生まれ育ったGは日系2世として困難な少年時代を過ごしたと語ります。周りの子供たちから小さな「目のかたち」をネタにからかわれたり、何度訂正しても「中国人」と呼ばれ続けたりしたことなどを例に挙げています。日本育ちの厳格な父親から、時には「虐待」に近い体罰を受けたと話します。問題児だったGは16歳で高校を退学。ちょうどその時期から家の宗教でもあった仏教に興味を持ちはじめ、鬱病への対策という意味もあり、仏教にのめり込んでいったそうです。

*スポークン・ワード:「歌詞を話す」芸術パフォーマンスで、パフォーマンス・ポエトリーが一般的。(参照:Wikipedia

Brave New Voices(BNV)イベントで公開されたポエム「ホーム」(4分間)

■ 動画の翻訳

(前振り)

ええと、どうも。

このポエムを読もうと思ったのは、今日出演していた何人かの日本人ポエットのパフォーマンスに強く感銘を受けたせいです。 僕は普段から自分のことを「まるまる日本人」と説明していましたが、米国の南部に隔離されている場合には状況が違ってくるのです。純粋な日本人であるにも関わらず、日本の出身ではない。そんな気持ちをこめたポエムを読みます。みんな、どうもありがとう。

(ここからパフォーマンス)

僕の両親は1979年に米国に移住した。二人とも、それぞれの家族ではたったひとりの海外移住者だったが、米国に来て姉と僕が生まれ、以来ずっと幸せに暮らしている。

僕は1990年11月16日にノースカロライナ州のダーラムで生まれた。目を開き、はじめての空気を吸ったその瞬間から、問題は始まっていたんだ。赤ん坊の僕に話しかけているおばあちゃんをちらりと見ると、そこには僕の歴史が存在し、おばあちゃんの話す日本語も聞こえた。でも僕はアメリカをがつがつ吸収し、医者も僕に英語が母語だと思わせるように仕向けた。

僕のミドルネームは「まさお」。名前の意味が「良い夫」だというと、いつも女の子は笑顔になるよ。日本語の会話は出来るけど、読み書きは出来ない。だから従兄弟たちにはスポークン・ワード・スタイルで話す。そしてこの詩が自分の血筋の源である土地に捧げる僕の唯一のポエムであることもおかしな話だろう。

3月11日、日本の東北地方太平洋沿岸をマグニチュード8.9の地震が 襲った。それはまるで我々が海を母に対する扱いの悪さによって憤慨させたようだった。僕は椅子に腰掛けてCNN放送に流れる津波の情報を、 ハイチ、ニューオーリンズ、インドネシアのときと同じように眺めていた。まるで同情的な天使が土曜の夜のニュースに流れる地獄図をササッと見たというような感じだった。

僕は何がおこっているのかを知った。「僕は大丈夫」と、聞いてくる皆に確認をとる。日本にいる僕の親族はもっと南の方に住んでいるので災害の影響を被ってはいなかった。僕の両親はまだ電話してこなかったが、すでになにかがおかしいことは感知していた。

僕の心の中に18輪車の大型トラックが駐車するようになったのは、僕が持っていた箸を置いて、道路上のフォーク(バイクの前輪)に注意を向けたときからだ。ほら、僕はワイルダー・ストーンでもないしね?まるで日本人の両親と、アメリカのポップカルチャーが正面衝突をしたあとに麻酔から目を覚ましたトラックの運転手のよう。 そう、僕は20年間昏睡していたのだ。家に帰り母と話したその瞬間に目が覚める。母親が眉のひそめる様子を見て、彼女が日本に戻りたがっていることが見て取れた。家出少女がソーシャル・ワーカーからそもそも家を出た理由はなにかと質問された時に肩をすくめたときと同じような母の顔つきだった。

「ボクたちの家族は大丈夫だよね?本州のずっと南の地域に住んでいるのだから」と僕は母に聞いた。

母「ジョージは分からんと思うよ。そこで生まれてないから。」

ボクはその時、泣きたくなった。でもボクの涙は、涙腺と共に「レッドローバー」のゲームをしている状態で、典型的なアメリカの子供時代のように屈託のない良心にはまり込んで立ち往生しているのだ。 だからボクはこのこの時の自分の感情を表現する詩を書いて朗誦することにした。

でも問題なのは、ボクには何も感じることができないということだ。それまで祖国につながりを感じた事はなかった。義弟のへその緒でも握り締めるかのようにiPhoneをつかんでニュースの更新をチェックし続けながら、やっぱりボクはアメリカ生まれだという証拠を確認していた。

僕は真っ赤な日の丸の穴が空いた星条旗だ。まるまる日本人であるのにも関わらず、里親の国は、出身国のことを忘れなさい、自分で経験したこともないものに、いつまでもしがみつくのはおやめなさいと言う。

でもね、これからボクは自分自身の心のふるさとを探して「ホーム」と呼べる場所をみつけたいな、と思っているのだ。

(以上、YouTubeビデオの日本語翻訳) 

【参考】

  

マーティン・チエ
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