« 前  

2015年7月28日(火)

  次 »
  • オバマ大統領は7月27日、現職の大統領として史上初めてエチオピアを訪問しました。しかし彼は、エチオピアが「民主的に選ばれた政府を持つ」と二度も言及したことで、批判されています。国際人権団体がエチオピアの民主主義は「偽り」だと非難しているのを無視しているからです。例えば直近の選挙では、エチオピアの与党が国会の547議席の100%を獲得しました。ヒューマン・ライツ・ウォッチは、最近の報告書でエチオピア政府を次のように批判しました。「権力者たちは恣意的な逮捕や政略的な起訴を使い、ジャーナリストやブロガー、抗議者そして野党の支持者と思われる人たちを黙らせています」。シラキュース大学っでアフリカ系米国人研究と政治学を教えるホレス・キャンベル教授の話を伺います。キャンベル教授はアフリカの政治について幅広く執筆してきました。キャンベル教授が「カウンターパンチ」誌に掲載した最新の記事は”Obama in Kenya"(ケニアのオバマ)です。

  • オバマ大統領は7月27日にエチオピアを訪問した際に、同国政府に対して「ジャーナリストたちやメディア、反対意見にもっと発言の場を与える」よう要請し、報道の自由について軽く言及しました。「ジャーナリスト保護委員会」(The Committee to Protect Journalists)はエチオピアを、アフリカ大陸で最もジャーナリストの監禁をおこなっている国の1つとしています。少なくとも11人のジャーナリストとブロガーが現在刑務所に入っています。他の6人はオバマが訪問する直前に釈放されました。番組では2人のスウェーデン人ジャーナリストの驚くべき物語を取り上げます。2人は、1970年代以来、独立のための闘いが続いているオガデン地区でのスウェーデンの石油会社ルンディン・オイルの活動を報道するため、2011年ににエチオピアを訪れました。ジャーナリストのマーティン・シビエとジョハン・パーソンは、ソマリアからエチオピアへの国境を越えた5日後、エチオピア軍によって銃撃され捕らえられました。「私たちは2人 とも逮捕のときに撃たれました。そして砂漠に収監されました」と、シビエは言います。「彼らはスティーブン・スピルバーグのような人物を連れてきて、私たちが逮捕されたときに何が起こったかについての擬似ドキュメンタリーを作りました。後からその人物は地域の副代表だとわかりましたが。彼らは偽の反政府組織を連れてきて彼らに銃を与えました。全くもって非現実的なエピソードでした。私たちは銃を突きつけられて、この擬似ドキュメンタリーに参加しなければなりませんでした。この映像は、エチオピアの国営テレビで放送され、私たちをテロ支援罪にするために裁判で使われることになっていました」。シビエとパーソンは結局1年以上を刑務所で過ごし、その経験をHow Our Quest to Expose the Dirty Oil Business in the Horn of Africa Got Us Tortured, Sentenced as Terrorists and Put Away in Ethiopia’s Most Infamous Prison(『アフリカの角での汚い石油ビジネスを暴くための我々の探求が、拷問され、テロリストと言い渡され、エチオピアの最も悪名高い刑務所に送り込まれた過程』)という本にまとめました。

  • ホンジュラスでは7月24日、同国のフアン・オルランド・エルナンデス大統領の退陣を求めて約2万5000人もが参加するデモ行進がありました。この抗議行動が行われたのは、民主的に選ばれたホンジュラス大統領マヌエル・セラヤがクーデターで追放されてから6年目にあたります。セラヤ元大統領がデモクラシー・ナウ!の独占インタビューに応え、新たに発生した抗議行動、2009年のクーデターの余波、当時の米国国務長官ヒラリー・クリトンがセラヤ追放に果たした役割について語ります。「[オバマ政権は] 一方ではクーデターを非難しながら、他方ではクーデターの指導者たちと交渉していたのです」と、セラヤは言います。「クリントン国務長官も、それに加担しました。米国が対ホンジュラス政策の二枚舌を継続した結果、ラテンアメリカ諸国の政府は、米国政府の外交政策に不信感を抱き、不安定感が強まることになりました」。米国は公式にはセラヤの政権復帰を支持しましたが、新たに暴露されたEメールが明らかにするところでは、クリントン長官はクーデター後にホンジュラス大統領に就任したロベルト・ミチェレティとの裏の連絡ルートの確立を図っていた模様です。ヒラリー長官はEメールで、クリントン元大統領の顧問だったロビイストのラニー・デイビスの名前をあげて、「彼に頼んだらミチェレティと話せるかしら?」と書いています。当時デイビスは、クーデターを支援した「ラテンアメリカ・ビジネスカウンシル」(the Business Council of Latin America)のホンデュラス支部で働いていました。別のEメールで、ホンジュラス会談の米国務省の主要交渉人であるトーマス・シャノンはマヌエル・セラヤのことを「終わった」指導者と言及しています。

Syndicate content