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2015年7月3日(金)

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  • 7月4日の米独立記念日の特別番組をフレデリック・ダグラスの言葉で始めましょう。1818年頃、奴隷として生まれたダグラスは奴隷解放運動の主要な指導者になりました。1852年7月5日、彼はニューヨーク州のロチェスターのロチェスタ-婦人奴隷反対協会で、「黒人にとっての独立記念日の意味」という最も有名な演説のひとつを行いました。歴史家ハワード・ジンの名著Voices of a People's History of the United States (『民衆のアメリカ史の声』)のパフォーマンス・イベントで、俳優のジェイムズ・アール・ジョーンズが行った朗読をお届けします。まず、ジンがジョーンズを紹介するシーンからスタートです

  • 30歳のアフリカ系アメリカ人女性のブリー・ニューサムは6月27日、州議事堂の約9メートルの旗竿に登り、南部連合旗を取り外して逮捕されました。警察官が降りるよう叫ぶ間、ブリー・ニューサムは竿の頂上までよじ登り、旗を手でつかむとこう言いました。「あなたが増悪と抑圧と暴力を以て私を攻撃するなら、私は神の名を以てあなたと対決する。今日、この旗は降ろされる」。そして主の祈りと詩編第27編を唱えながら南部連合旗を降ろしました。地上に下りるとすぐ、ニューサムは下で見守っていたジェームス・タイソンと共に逮捕されました。この様子はネット上で広まり、世界中で視聴されました。ニューサムが連行された拘置所から、彼女の支持者に話を聞きます。南部連合旗はニューサムが外した1時間後に戻されました。州議事堂で27日デモを行っていた南部連合旗の支持者と、それに抗議するために集まった人々の双方に話を聞きます。

  • 7月4日の米独立記念日の特別番組を伝説的なフォーク・シンガーで活動家だった故ピート・シーガーの追悼で締めくくります。現代のアメリカ・フォークミュージック運動を築くのを助けた人物として、シーガーは70年近くの間、音楽的なまた政治的な象徴となってきました。シーガーがデモクラシー・ナウ!に2回登場した時のハイライトをお送りします。そのインタビューのところどころで、シーガーは『ウィ・シャル・オーバーカム(勝利を我らに)』、『天使のハンマー』、『花はどこへ行った』など彼の名曲のいくつかを歌っています。また彼の「不屈の楽観主義」と呼ばれてきたものについても話しています。「小さなことが大きなことにつながることに気付いてください。それが[アルバム]Seeds(『シーズ』)で伝えたかったことです」と、シーガーは語りました。「そして、新約聖書には次のような素晴らしい寓話があります。種まき人が種をまくと、いくつかの種は歩道に落ちて踏まれて成長しない。いくつかの種は岩に落ちて成長しない。しかし、いくつかの種は休閑地に落ちて成長し何千倍にもなる。あなたがした小さな良いことが、夢にも思わなかったようなことを数年後にもたらすかもしれないのです。」
    シーガーの音楽暦は華々しいものです。彼は1940年代に、ウディ・ガスリーと共にアルマナック・シンガーズというバンドで活動しました。その後彼は、ウィーバーズというバンドを結成。1950年代には、ジョセフ・マッカシー上院議員の政治的魔女狩りに反対したことでブラックリストに載せられ、下院非米活動委員会で証言を拒否したことで投獄されそうになりました。シーガーは著名な公民権活動家になり、彼の曲『ウィ・シャル・オーバーカム(勝利を我らに)』を同運動を象徴する歌として広めました。彼は1960年代にベトナム戦争に声高に反対し、多くの抗議する歌手たちに刺激を与えました。彼はその後、環境活動と反核運動の中心的存在になりました。また、彼は妻のトシと共に、ハドソン川を清掃する団体「クリアウォーター」(Clearwater)の設立を助けました。トシは2013年、二人の結婚70周年の数週間前に亡くなりました。シーガーとブルース・スプリングスティーンは2009年、バラク・オバマの就任コンサートで、リンカーン記念館の壇上でウディ・ガスリーの『我が祖国』を歌いました。

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