米国が支援したハイチの独裁者ジャン=クロード・デュバリエ元大統領、通称「ベビー・ドック」が63歳で逝去しました。デュバリエは、1957年以降ハイチを統治した父親の死を受けて政権を継ぎ、1971年から1986年にかけてハイチを統治しました。ベビー・ドックの死の1か月前、ハイチの裁判所は、デュバリエを国際法の下で人道に対する罪で訴追する可能性と、また政権下で軍と準軍事組織によって行われた虐待の責任を問う可能性があるとの判断を下していました。彼の政権下で、多数の刑務所に拘禁された何百人もの政治犯が非常に残虐な扱いを受けたために死亡しました。ベビー・ドック政権は、独立系新聞社やラジオ局を繰り返し閉鎖しました。ジャーナリストは暴行され、中には拷問を受けたり、投獄されたり、国外退去を強制される者もいました。彼のこうした人権(侵害)記録にもかかわらず、ベビー・ドクは米国と親密な関係でした。フランスでの長年の亡命生活の後、デュバリエは2011年にハイチへ戻り、ハイチの現大統領ミシェル・マテリの支援者となりました。本日はハイチの活動家で作家のジャン・サン=ビルとジャーナリストでThe Rainy Season: Haiti Since Duvalier(『レイニー・シーズン:デュバリエ後のハイチ』)を執筆したエイミー・ウィレンツに話を聞きます。