人道介入

リビアでは2011年にカダフィ政権が倒れて以来、暫定政府はできたものの国家再建は進まず、各地で民兵組織が乱立し再び内乱状態に戻っています。国の西部では首都トリポリの支配をめぐってジンタンやミスラタの民兵組織が闘い、議会を開くこともままなりません。また、ベンガジなど東部の諸都市ではイスラム主義の民兵組織が勢力を伸ばし、米国から帰国したハリーファ・ハフテル将軍の軍と激しく戦っています。トリニティ・カレッジで国際学を教えるヴィジャイ・プラシャド教授は、現在のリビアの混沌を招いたのは、2011年のNATOによる爆撃だと批判します(19分)
5月25日シリア中部ホムス近郊のホウラで100人以上の住民が虐殺された事件を受け、米国や英国の11カ国がシリアから外交官を退去させました。被害者には子供も多く含まれ、国連・アラブ連盟合同特使としてシリアの停戦調停交渉にあたっているコフィ・アナン前国連事務総長は、「シリアは転換点を迎えた」と発言しました。この事件が報道されると、さらなる虐殺を防げと軍事介入を求める声に勢いがつきましたが、最近現地から戻った中東ジャーナリストのチャールズ・グラスは、現地の人々は大半が武力介入に反対していると、慎重な対応を求めています。(12分)
リビアの40年に及ぶカダフィ政権を打倒した蜂起から1年。解放の喜びもつかの間、リビアは今も地域と派閥によって深刻に分裂した状態です。国内には500以上の武装集団が存在し、拷問や人権侵害は今も後をたちません。そんな中、シリアで政権による反対派への弾圧が強まり、政府軍や民兵によるとされる残虐な殺戮行為が伝えられ、人道を口実とした武力介入を促す声が再び、欧米諸国で聞こえてきます。だが、外国勢の武力介入は、本当に救いになるのか?
「アラブの春」がシリアで本格化したのはエジプトの蜂起から2カ月ほどたった2011年3月です。この時以降、シリア政府が民主化デモを武力で弾圧したというニュースがひんぱんに登場するようになりました。早期にNATO軍が介入したリビアとは違い、シリアへの軍事介入に対して国際社会は慎重な態度を取りました。
2009年3月4日、国際刑事裁判所(ICC)は、2003年以降続いているスーダン西部のダルフール地方における内戦で行なわれた戦争犯罪と人道に対する罪に責任があるとして、スーダンの現職大統領オマル・バシールに逮捕状を出しました。2005年の国連安全保障理事会による付託を受けてのものです。しかしスーダンはICC規定の締結国ではなく、バシール氏が拘束される可能性のない時点で逮捕状を発行したことには、様々な観点から賛否両論が提示されています。事実、スーダン政府は決定に反発し、国内で人道支援活動に従事する欧米系の支援団体の多数がスパイ行為を行っていると非難して追放を決定しました。和平への取り組みに関与するアフリカ連合も逮捕状発行に反発しています。<br><br> 番組では、今回の決定を支持するヒューマン・ライツ・ウォッチ理事でICC設立のための運動を主導したリチャード・ディッカー氏と、ハーバード大学の学部横断組織人道主義プロジェクトの纏め役で、今回の決定を「象徴的な動きに過ぎず、却って人道危機を招きかねない、性急な行動」だと批判するアレックス・デ・ウォール氏を招きます。(14分)
紛争が民衆にもたらす暴力や人権侵害を解決する方法として、しばしば「人道的介入」の必要性が語られます。しかし、コソボ自治州(その後2008年に独立を宣言)におけるアルバニア系住民の保護を名目にしたNATOによるセルビア空爆、フセイン政権によるクルド人やシーア派住民への弾圧が導火線の一つとなった英米軍主体のイラク侵略など、実際の例をみると、むしろ紛争を拡大し、民間人の被害の深刻化をもたらす例が目につきます。ゲストは『細い青い線─人道主義戦争への道』(The Thin Blue Line: How Humanitarianism Went to War)の著者コナー・フォーリー氏。数多くの紛争地帯で人道援助活動に携った経験をもとに、人道的介入論の起源と問題点を分析します。(13分)
コンチネンタル航空3407便がニューヨーク州バッファロー付近で墜落した事故で、ルワンダ専門家として世界の第一線で活躍したアリソン・デフォージが亡くなりました。彼女は、ルワンダでのツチ人の虐殺開始から数週間後の1994年5月に、この虐殺をいち早く「ジェノサイド」と断言しました。1999年には、ルワンダ大虐殺の優れた報告書と評価されている著書『Leave None to Tell the Story:Genocide in Rwanda(誰ひとり生かすな:ルワンダ大虐殺)』を出版しました。長年活動を共にしてきたヒューマン・ライツ・ウォッチ代表のケネス・ロスに、彼女の思い出を語ってもらいました。(26分)
ブレイテン・ブレイテンバッハ)は反アパルトヘイト運動で有名な南アフリカの亡命詩人です。アフリカーナとよばれる南ア白人の家庭に生まれましたが、60年代 初めにパリに移り住み、そこで反アパルトヘイト運動に深く没入しました。1975年、偽造パスポートでひそかに南アに戻ったところを逮捕され7年間投獄されました。この獄中体験を綴ったのが、代表作『白い肌のテロリストの真実の告白』です。11月26日に放送された第一回は、反アパルトヘイト闘争と解放後の南アフリカの失敗について詳しく聞きました。続編にあたる今回は、アフリカ大陸全体の現在に視野を広げます。(35分)
ブレイテン・ブレイテンバッハ)は反アパルトヘイト運動で有名な南アフリカの亡命詩人です。アフリカーナとよばれる南ア白人の家庭に生まれましたが、60年代 初めにパリに移り住み、そこで反アパルトヘイト運動に深く没入しました。1975年、偽造パスポートでひそかに南アに戻ったところを逮捕され7年間投獄されました。この獄中体験を綴ったのが、代表作『白い肌のテロリストの真実の告白』です。11月26日に放送された第一回は、反アパルトヘイト闘争と解放後の南アフリカの失敗について詳しく聞きました。続編にあたる今回は、アフリカ大陸全体の現在に視野を広げます。(20分)
石油タンカーを襲う海賊の出没で注目を浴びるようになったソマリア。しかし、10年以上も無政府状態が続き、エチオピア軍が侵入してからの2年間は暴力行使が最悪の水準に達し、何百万人もの生活が脅かされていることは、ほとんど報道されませんでした。2008年のライトライブリフッド賞を受賞したソマリアの女性運動家アシャ・ハジは、「ここ2年の大きな危機にも世界は知らんふりで、ソマリアは人道主義の網の目から零れ落ちていました。いま世界が関心を寄せているのは、ソマリアではなく、ソマリアの海における自分たちの権利です。ソマリアの住民より、ソマリアの海が大事なのです」と言います。(19分)