教皇フランシスコと「解放の神学」ポスト共産主義時代の復権

2014/12/31(Wed)
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17分

後半は中南米の軍事独裁時代を生きた教皇フランシスコの過去と現在のかかわりに光を当てます。

史上初の新大陸出身の教皇は、外交の世界でも大活躍。米国とキューバが国交正常化に向けて踏み出すという昨年末に世界をあっと言わせた出来事でも、その準備段階では教皇が仲介役として大いに尽力していたようです。両国の長年の不和は、双方が築いたイデオロギーの壁で出口を失った不毛な対立の典型例であり、まさにこうした状況を調停し打開の道を開くことこそフランシス教皇の生涯の使命だと伝記作家のオースティン・アイバリーは言います。教皇は共産主義にも批判的で、1998年ヨハネパウロ2世に随行してキューバを訪問した際の回想録では共産主義はキューバの伝統と価値感に相容れないイデオロギーだと厳しく批判したようです。とはいえ大量消費資本主義にも批判的で、中南米の成長モデルはもっと伝統に即したカトリックの人間中心主義の価値感に基づくものであるべきだと考えているようです。

そうした中で、これまでバチカンから異端視されてきた「解放の神学」との関係も変化が見られます。フランシス教皇が就任早々に行ったことの一つが、故オスカル・ロメロ大司教の列聖の手続きの再開でした。サンサルバドル大司教だったオスカル・ロメロは軍事独裁政権が貧しい農民を弾圧する反対派を虐殺する恐怖政治に公然と異を唱えて1980年3月に祭壇の前で暗殺されました。中南米では教会が貧者の側につき、多くの聖職者が犠牲になりましたが、それを象徴するような存在です。当然ながらロメロを殉教者としてカトリックの聖者の列に加えようという動きが起きたのですが、この「列聖」の手続きにバチカンの保守的な枢機卿たちがストップをかけ、そのまま棚上げになっていました。

この他にも、ニカラグアで1980年代にサンディニスタ民族解放戦線の政府で外相を務めたミゲル・デスコト・ブロックマン神父も聖職停止の処分を解かれるなど、無力化されてきた「解放の神学」が復権しつつあるようです。ロメロ列聖の封印を解いたことは、カトリック教会は貧者とともにあるという力強いメッセージを送り、画期的な地球保護の回勅の発布と相まってカトリック教会にも数十年ぶりに大刷新がやってくると、アイバリーは期待しています。

もともと教皇自身は常に貧者に寄りそう立場ですから、「解放の神学」とは根本理念において違いはありません。それでも中南米の恐怖政治の時代には「解放の神学」が弾圧されるのを傍観し、アルゼンチンの教会関係者の一部からは弾圧に手を貸したとまで言われています(アイバリーは否定しており、真偽はわかりません)。どうやら当時の教皇は、「解放の神学」が政治色を強め、国家権力を狙う運動に合流したことを嫌い、左翼思想の政治目的の達成に教会が利用されていると考えたようです。民衆の価値感や伝統を尊重する立場からは、左翼思想もしょせんは特権階級のイデオロギーです。

解放の神学と教会中枢の関係の歴史については、改革を掲げる教皇フランチェスコ登場の前提となったバチカンの惨状を語る「 カトリック教会に巣食うファシスト 信徒虐待と解放の神学弾圧の関係」 (18分)がとても参考になります。今回のインタビューの背景がよく分かる、お勧めの動画です(中野真紀子)

*オースティン・アイバリー(Austen Ivereigh)英国の作家、コメンテーター、「カトリックの声」の共同設立者。新しい評伝
The Great Reformer: Francis and the Making of a Radical Pope
(『偉大な改革者~急進的教皇フランシスの誕生まで』)の著者。

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字幕翻訳:川上奈緒子/校正:中野真紀子