「移民が非合法になった経緯」 アビバ・チョムスキー 米国の移民労働者搾取を語る

2014/5/30(Fri)
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12分

2016学生字幕翻訳コンテスト 課題3:「米国の移民選別の歴史」の受賞作です。

米国は「移民の国」です。一般に語られる移民の歴史は、こんな感じです。「最初に入植して国を築いたのは、英国人など白人プロテスタント(WASP)だった。その後さまざまなグループが渡ってきたが、19世紀末に南欧や東欧から工場労働者が大量に流入し、文化の違いから社会不安が増大した。新移民への排斥感情が高まり、ついに1924年、出身国別の移民枠が設けられ自由な移民の時代は終わった。しかし戦後の公民権運動の高まりで、1965年以降は国別の割り当てが撤廃され、誰にも平等に扉が開かれた」。

中南米を専門とする歴史学者アビバ・チョムスキーは、この説明には「人種偏見」と「労働力需要」の視点が足りないと言います。

建国時の法文で市民権の対象を白人のみに限定して以来、米国政府は一貫して白人でない者が市民権を獲得することを妨害してきました。米国は「移民の国」ですが、そもそも「移民」とは市民権を獲得する目的で移住してくる人々です。市民権を白人に限定したので、その資格のない白人以外の人々は、「移民」と呼ばれる資格もありません。彼らには別の名前がつけられます。出稼ぎ労働者とか、外国人労働者とか。

南北戦争後、奴隷身分から解放されたアフリカ系に市民権が拡大され、米国領土で生まれた者には市民権を与える出生地主義が採用されました。しかし、これにより論理矛盾が生じます。人種的に市民になり得ない人々が、米国内に住むことで市民になり得るのです。このため議会は、市民には不適と見なす人種の入国を制限する方向に動き始め、優生学運動の高揚などもあって、1924年に出身国別の移民枠が設けられました。

もう一つの視点は労働需要です。1920年代にはアジア系の移民は禁止、南欧や東欧からの移民も厳しく制限されましたが、メキシコ国境を越えて来る人々には何の制限もありませんでした。彼らの労働力をアメリカ経済が必要としていたからです。彼らは永住せず、一定期間働けばメキシコに帰ります。そこでメキシコ人なら、移民ではなく季節労働者だということになり、権利を与えず働かせて重宝してきました。戦争中の労働力不足をきっかけに米国政府の管理下で大量受け入れが始まり、やがて何百万もの「メキシコ人」が米国で働くようになりました。ところが1965年、彼らは突然「移民」とみなされるようになりました。「メキシコ人」だから差別してよいという理屈が通用しなくなったのです。従って彼らにも移民枠が適用され、それ以外は不法滞在となってしまいました。でも彼らの労働力が米国南西部の経済に不可欠なのは以前と変わりません。

アビバ・チョムスキーは、ここに黒人の大量投獄との類似を見ます。『新たな黒人隔離:カラーブラインド時代の大量投獄』を著したミシェル・アレグザンダーは、麻薬犯罪取締りや厳罰主義運動などで大勢の黒人が投獄され、前科者の烙印を押されて市民としての権利を剥奪されている現状を、公民権運動によって撤廃された南部諸州のジム・クロウ法(人種隔離政策)の形を変えた再現だと指摘しました。メキシコ人も、不法滞在という身分ゆえに法的に無能力となり、権利を主張できません。ともに人種を理由に抑圧できなくなったので、犯罪を理由に抑圧することになったのです。(中野真紀子)

*アビバ・チョムスキー(Aviva Chomsky):歴史学教授でマサチューセッツ州のせーラム州立大学のラテンアメリカ研究のコーディネーター。Undocumented: How Immigration Became Illegal(『在留資格なし 移民はいかにして非合法になったか』)の著者。同じ題材の前著は>"They Take Our Jobs!" and 20 Other Myths about Immigration

Credits: 

字幕翻訳:石倉綾乃 神戸女学院大学文学部英文学科 4年(2016学生字幕翻訳コンテスト受賞作品)
監修:中野真紀子