「あれは犯罪だった」米国の侵攻から15年後 イラク人が依然として直面するトラウマと破壊と暴力
2018/3/20(Tue)
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イラクの大統領サダム・フセインが大量破壊兵器を隠しているという偽りの大義名分のもとに、米国がイラクを侵攻したのは15年前の3月20日でした。この攻撃は、世界中で抗議が起こり、国連安全保障理事会の承認がないにも関わらず行われました。2003年3月20日、バグダッドの午前5:30頃に、米国の侵攻が始まり、空襲警報が鳴り響きました。この戦いは今だに終わらず、死者数は永遠にわからないかもれません。イラクの民間人死者数は、控えめに見積もっても20万人です。しかし、200万人という見積もりも存在します。イギリスの医学専門誌『ランセット』は、戦争の最初の40ヵ月だけで60万人のイラク人が死亡したとの見積もりを、2006年に発表しました。米国もまた、イラクで約4500人の兵士を失っています。つい先週(3月第3週)も、7人の米軍人がシリア国境近くのイラク西部でヘリコプターの衝突で死亡しました。イラク戦争はさらに、中東の多くの国を揺るがしています。元国際連合事務総長のコフィー・アナンや他の人々は、米国によるイラク侵攻がイスラム国(ISIS)の台頭に直接的な責任があるとしています。ラトガース大学で教えるイラク系フランス人の社会学者ザフラ・アリ、以前は「反戦イラク帰還兵の会」(Iraq Veterans Against the War)として知られ、現在は「転向:反戦帰還兵の会」(About Face: Veterans Against the War)として活動する組織の共同代表マット・ハワード、そして、イラクの「ムスリム・ピースメーカー・チーム」(Muslim Peacemaker Teams)の創設者で代表のサミ・ラズーリに話を聞きます。