『勝利を我らに』:フォークの象徴的存在で活動家のピート・シーガーを彼自身の言葉と歌で振り返る

2014/1/28(Tue)
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伝説的なフォークシンガーで活動家のピート・シーガーが1月27日、94歳で亡くなりました。現代のアメリカ・フォークミュージック運動を築くのを助けた人物として、シーガーは70年近くの間、音楽的なまた政治的な象徴となってきました。デモクラシー・ナウ!に2回出演したシーガーの映像の抜粋を放送します。そのうち4ヶ月前に収録されたものは、彼の最後のテレビインタビューの1つです。そのインタビューのところどころで、シーガーは『ウィ・シャル・オーバーカム(勝利を我らに)』、『天使のハンマー』、『花はどこへ行った』など彼の名曲のいくつかを歌っています。また彼の「不屈の楽観主義」と呼ばれてきたものについても話してくれています。「小さなことが大きなことにつながることに気付いてください。それが[アルバム]Seeds(『シーズ』)で伝えたかったことです」と、シーガーは語りました。「そして、新約聖書には次のような素晴らしい寓話があります。種まき人が種をまくと、いくつかの種は歩道に落ちて踏まれて成長しない。いくつかの種は岩に落ちて成長しない。しかし、いくつかの種は休閑地に落ちて成長し何千倍にもなる。あなたがした小さな良いことが、夢にも思わなかったようなことを数年後にもたらすかもしれないのです。」

シーガーの音楽暦は華々しいものです。彼は1940年代に、ウディ・ガスリーと共にアルマナック・シンガーズというバンドで活動しました。その後彼は、ウィーバーズというバンドを結成。1950年代には、ジョセフ・マッカシー上院議員の政治的魔女狩りに反対したことでブラックリストに載せられ、下院非米活動委員会で証言を拒否したことで投獄されそうになりました。シーガーは著名な公民権活動家になり、彼の曲『ウィ・シャル・オーバーカム(勝利を我らに)』を同運動を象徴する歌として広めました。彼は1960年代にベトナム戦争に声高に反対し、多くの抗議する歌手たちに刺激を与えました。彼はその後、環境活動と反核運動の中心的存在になりました。また、彼は妻のトシと共に、ハドソン川を清掃する団体「クリアウォーター」(Clearwater)の設立を助けました。トシは2013年、二人の結婚70周年の数週間前に亡くなりました。シーガーとブルース・スプリングスティーンは2009年、バラク・オバマの就任コンサートで、リンカーン記念館の壇上でウディ・ガスリーの『我が祖国』を歌いました。

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