中南米

2009年にクーデターで国外に追われたホンジュラスのセラヤ大統領が本国に帰還した時のインタビューです。ホンジュラスは1980年代、レーガン政権によるニカラグアのサンディニスタ政権転覆計画の拠点となり、中米ではコスタリカとならんで対米関係を重視する国とされていました。セラヤ大統領も就任当時は前体制を踏襲していましたが、2007年の原油高騰をきっかけにそれまでの親米路線を転換し、2008年、ベネズエラ主導の石油価格協定ペトロカリベ(Petrocaribe)と米州ボリバル代替構想(ALBA)に加盟すると発表 しました。(22分)
6月末に起きたホンジュラスのクーデターは、中南米の歴史を見てきた人にはおなじみの光景だったかもしれません。民主的に選ばれたマヌエル・セラヤ大統領が軍部のクーデターにより国外追放されました。それを率いたロメオ・バスケス将軍は、米国の陸軍教練機関スクール・オブ・ジ・アメリカズ(SOA)で訓練を受けていました。SOAは現在は名称を変えてWINSECと呼ばれていますが、これまで6万人以上のラテン・アメリカ諸国出身の軍人を訓練してきました。その多くは祖国に戻って人権蹂躙や拷問、裁判なしの死刑執行や大量虐殺などに関わっています。放されたホンジュラス大統領マヌエル・セラヤと今回のクーデターについて、『革命!南米と新左翼の台頭』の著者ニコラス・コズロフに聞きます。セラヤはもともと特権階級出身の実業家で、当初は保守的な姿勢が目立ちました。しかし、2007年以降、中南米全体に左翼的な傾向が顕著になると、セラヤもその流れに乗り、革新的な立場を取り始めました。(20分)
北米自由貿易協定(NAFTA)発効から15年、当初約束された経済繁栄とは裏腹にメキシコは米国に安価な労働力を供給する移民工場になっています。それに追い討ちをかけるように、ここへきてNAFTA軍事化の動きが顕在化してきました。ブッシュ政権が2008年6月に打ち出した麻薬撲滅政策「プラン・メキシコ」は、社会経済対策をおろそかにして軍事方面ばかりに力を入れています。初年度予算4億ドルの大半は、米政府と契約する傭兵会社とメキシコ軍の手にわたります。国境管理の強化は、麻薬と移民の流入を防ぎたい米国、武器流入を防ぎたいメキシコ側の共通の要求です。しかし、その裏には別の思惑もあるようです。(26分)
 2007年11月、グアテマラで、53年ぶりに左派寄りの大統領が誕生しました。大方の予想では、軍部出身のペレス・モリーナ候補が勝利し、1980年代の圧制に戻るだろうということでしたが、地方票を集めたアルバロ・コロン候補が、貧困の撲滅を掲げ、53%の得票率で当選したのです。 (14分)
 メキシコのオアハカ州では昨年6月14日、教員の座り込みストが大量の警官隊によって強制排除されたのをきっかけに、州知事ウリセス・ルイスの圧制に住民の怒りが爆発し、数ヶ月のうちに同知事の辞職を求める大規模な抵抗運動へと発展しました。10月27日の襲撃で殺された6人の中に、米国人インディメディア活動家ブラッド・ウィルがいました。ニューヨークではよく知られた活動家だった彼の訃報に、多くの仲間や友人たちが集まり、故人を追悼すると同時に、彼の死を更なる弾圧手段強化の口実に使おうとするメキシコ政府に抗議しました。デモクラシーナウは、この日の放送時間を丸ごと使ってブラッド・ウィルの活動家人生を伝えています。(14分)
 メキシコのオアハカ州では昨年6月14日、教員の座り込みストが大量の警官隊によって強制排除されたのをきっかけに、州知事ウリセス・ルイスの圧制に住民の怒りが爆発し、数ヶ月のうちに同知事の辞職を求める大規模な抵抗運動へと発展しました。10月27日の襲撃で殺された6人の中に、米国人インディメディア活動家ブラッド・ウィルがいました。ニューヨークではよく知られた活動家だった彼の訃報に、多くの仲間や友人たちが集まり、故人を追悼すると同時に、彼の死を更なる弾圧手段強化の口実に使おうとするメキシコ政府に抗議しました。デモクラシーナウは、この日の放送時間を丸ごと使ってブラッド・ウィルの活動家人生を伝えています。(11分)
 「ノーモア・デス」の救援活動は、長老派教会のジョン・ファイフ牧師が2002年に始めたサマリタン・パトロールを母体としています。ファイフ師は80年代中ごろにも、国境に滞留した大勢の難民たちを保護する「サンクチュアリー(避難所)」運動を始め、全米の教会やシナゴーグにネットワークを広げたため、当局ににらまれて密入国幇助の罪で有罪判決を受けたことがあります。彼の体験を通じて、国境での生死をかけた救済活動の今と昔が語られ、そこにはっきりした一筋の糸が通っているのが見えてきます。(14分)