見えない戦争 経済制裁措置によるイラクの破壊

2010/9/1(Wed)
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7年以上に及ぶ米国の軍事占領は、イラクにさまざまな災禍をもたらしました。しかしイラクへの攻撃が始まったのは20年前、米国の主導で国連安全保障理事会がイラクに対する経済制裁措置を決議したときからです。1990年8月、サダム・フセイン大統領のクウェート侵攻に対して発動された厳格な経済制裁措置は2003年5月まで続きました。その後の軍事侵攻と占領の陰に隠れて見過ごされがちですが、この残酷な経済制裁措置はイラクの国民生活を徹底的に破壊した見えない戦争でした。
ジョイ・ゴードン教授によれば、経済制裁の対象はほぼ全品目に及び、「人道的な状況」に限って医薬品と食品が許された以外は、イラクへの輸出入は全面的に途絶えました。食糧の3分の2を輸入に頼るイラクに、米国は当初の8カ月間、食糧輸入を許さず、粉ミルクの輸入にさえ強硬に反対したといいます。
1991年3月の湾岸戦争後、食糧輸入は許可されましたが、連合軍による大規模な爆撃によってイラクのインフラは徹底的に破壊されました。上下水処理場や電気通信設備はもちろん、橋も道路も破壊され、国家機能は不全に陥り、イラクは一夜にして高度の文明国から「産業革命以前」に転落したと言われます。幼児死亡率が250%も上昇し、伝染病が蔓延しました。インフラ壊滅と経済制裁のダブルパンチで、イラクは回復不能の状態に陥りました。
イラクは中央集権的なシステムで公共サービスを国家に依存していました。輸入が途絶えると、食糧も政府の運営する配給制度の下に置かれ,ました。石油輸出ができなくなって国の財政が破綻し、国家機能の維持のための機器の輸入が途絶え、公共サービスが全壊し、食糧配給制度も縮小しました。教師や医師の給与は支払われず、技術者や専門家などの必要な人材が大量に国外流出しました。制裁措置の影響で少なくとも50万人の子供が命を落としたと推定されています。(中野)
*ジェイ・ゴールドン(Joy Gordon) フェアフィールド大学の哲学教授。Invisible War: The United States and the Iraq Sanctions(『見えない戦争 米国とイラク制裁措置』)
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字幕翻訳:大竹秀子/校正・全体監修:中野真紀子