ベトナムの「ソンミ虐殺」事件から40年

2008/3/17(Mon)
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ベトナム戦争時、米軍が南ベトナムのソンミ村で住民500人以上を虐殺した事件(米国では「ミ・ライの虐殺」と呼ばれています)から今年の3月16日で40周年を迎えました。イラク戦争で米軍が行っている住民への攻撃や虐待、軍規の乱れが問題化している今、ベトナム戦争の頃を振り返って見ることは、ブッシュ政権の戦争で何が変わったのか、変わっていないのかを考える一助になります。

この虐殺事件とその後の軍による事件の隠蔽工作を暴露する記事を1969年11月に発表してセンセーションを巻き起こし、ピュリツァー賞を受賞したセイモア・ハーシュ記者から、当時の話を聞きます。

インドシナを専門とする歴史家ガレス・ポーターは、「虐殺を行った部隊の行動は、公式の指令から逸脱した単独行為だと説明されてきたが、それは違う」といいます。「米軍司令部の指令525-3は、共産党の勢力下にある地区の民間人は敵とみなし、兵士と同じ扱いをすると明言している。ヴェトコンの拠点地域では非戦闘員に対し、無差別攻撃をしてよいとする司令部の方針が、虐殺の背後にあったのだ」と。

これに対し、セイモア・ハーシュ記者の見方は異なっています。彼はイラク戦争でもアブ・グレイブ刑務所の捕虜虐待を2004年に『ニューヨーカー』誌に暴いたことでも有名ですが、この両者を比較して状況は明らかに違うと言いいます。イラク戦争では、囚人に対する扱いに制限はなく、何をしても罰せられない。それに対し「ソンミ村は、"事件"だった。直ちに調査が行われたが、事件そのものは隠ぺいされた。調査によって恥ずべきスキャンダルだと判明したからだ。重大犯罪だと誰もが思った。同じような虐殺事件が他にも多数起きていたのは事実だ。しかし、それは犯罪であり、当時は誰もが犯罪だと思っていた。誰でもいつでも撃ち殺してよいという無法状態ではなかった」。(中野)

セイモア・ハーシュ(Seymour Hersh), 『ニューヨーカー』誌の調査報道記者。ヴェトナム戦争中にソンミ村の虐殺事件を明るみに出し、ピュリッツァー賞を受賞した。イラク戦争でもアブ・グレイブ刑務所の捕虜虐待を2004年に『ニューヨーカー』誌に暴いたことでも有名。

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字幕翻訳:桜井まり子/ 全体監修:中野真紀子