パレスチナ人俳優モハメド・バクリ ジェニン侵攻の記録映画の制作で被告席へ

2007/6/22(Fri)
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19分

イスラエル出身のアラブ人俳優モハメド・バクリ(ムハンマド・バクリー)は、テルアビブ大学で演劇とアラブ文学を学び、舞台俳優としてイスラエルとパレスチナで活躍し、また国内外の映画に多数出演し国際的にも知られています。彼が出演した1984年の映画"Beyond the Walls" (『壁を越えて』)は米国アカデミー賞の外国映画部門にノミネートされ、イスラエルを代表的する演劇人の一人として名声を築きました。しかし2002年、イスラエル軍がパレスチナ難民キャンプを軍事攻撃した直後、現地に入りって人々の証言を記録したドキュメンタリー映画『ジェニン・ジェニン』を制作すると、イスラエルのマスコミから猛烈なバッシングを受け、映画は国内で上映を禁止され、俳優の仕事も干されてしまいました。

挙句の果てに、ジェニン侵攻作戦にかかわったと称するイスラエル軍の予備役兵5人から告訴され、裁判のなりゆき次第では投獄される可能性さえ否定できません。「まるでカフカの小説の世界だ」とバクリは毒のあるコメントをしていますが、中東で唯一の民主主義国を標榜し、表現の自由が保障されていると自慢してきたイスラエルでも、国内のマイノリティに対する扱いはこんなものです。

イスラエルの人口の2割はアラブ系すなわちパレスチナ人です。彼らは市民権を持ちイスラエル最大のマイノリティ集団でありながら、イスラエルと敵対関係にある占領地(西岸地区やガザ)や周辺諸国のパレスチナ人と同族であるため、潜在的な敵とみなされ、さまざまな形で差別を受け、権利を制限されています。モハメド・バクリはそのような中で例外的な出世をはたし、イスラエル社会に受け入れられた人物です。融和的なアプローチによる共存の道を示唆する成功例に見えた時期もあったのですが、2000年以降のオスロ体制破綻とともに、そうした希望もすっかり色あせてしまいました。なんだか、それを象徴するようなバクリへの迫害。

こうした立場の中からバクリが慎重に言葉を選んで語る「祖国」やアイデンティティの観念は、「ユダヤ人の祖国」を掲げるイスラエルに対する強力な対抗言論です。(中野真紀子)

*ドキュメンタリー映画『ジェニン・ジェニン』:2002年春にイスラエルが占領中の西岸地区に点在するパレスチナ人自治区に軍を差し向け、ふたたび軍事制圧した際に、西岸地区北部の都市ジェニンにある難民キャンプを2週間にわたって封鎖し、戦車や戦闘機をつかって「テロリストの掃討」を行い、住宅密集地で150棟以上のビルを全壊させ、少なくとも50人以上の住民を殺害した事件を背景としています。国連調査団の現地入りも阻止され、外部からの監視が遮断され、大虐殺を懸念する声があがる中、バクリはクルーとともに閉鎖地区に潜入し、事件直後の住民の証言を映画に記録しました。この映画は当初、イスラエル国内での上映を禁止されました。バクリは裁判所に提訴し、数年越しの裁判闘争を行なった結果、上映禁止は撤回されました。しかし実際の興行は、難しいようです。日本ではいち早く字幕つきビデオが制作され、自主上映会も行われています。

*モハメド・バクリ(ムハンマド・バクリー)(Mohammad Bakri.):舞台や映画で活躍するパレスチナ人の名優。2002年イスラエルによるジェニン難民キャンプ攻撃の記録映画「ジェニン・ジェニン」を監督し、虚偽の描写をおこなったとしてイスラエル兵士から告訴されている。パレスチナ人作家エミール・ハビービーの『悲楽観屋サイードの失踪にまつわる奇妙な出来事』(山本薫訳)を土台にした一人芝居を長年にわたり演じ続け、日本でも昨年末に「悲観楽観悲劇のサイード」として上演。最新の監督作品『あなたが去ってから』は、師と仰ぐ故ハビービーの墓を訪れ、この年月に起こった出来事を語ったもの。2007年山形国際ドキュメンタリー映画際のインターナショナル・コンペティション部門に招待され、来日する。

Credits: 

字幕・翻訳:有賀玲子 
全体監修:中野真紀子