ハマスの内幕 イスラエルが育てた戦闘的イスラム主義運動
昨年1月末の選挙でイスラム主義政党ハマスが圧勝し、それまでパレスチナ解放運動を率いてきたファタハが占領地住民の信任を失って以来、パレスチナ=イスラエル問題は新しい段階に入りました。欧米諸国はいっせいに援助を停止し、イスラエルは代行徴収していた税金の引渡しさえ拒否して、被占領地を窮地に陥れました。それから1年半、いまでは両派の対立が内戦に発展し、パレスチナ人は西岸地区(ファタハ)とガザ(ハマス)に分裂するかのようです。占領地で圧倒的な支持を受けるようになったハマスは、いったいどのように生まれてきたのか?ロンドンのアルハヤト紙の政治部主幹ザキ・シェハード氏の話を聴きます
イスラエルの「生存権」を承認しないことが、ハマスがボイコットの第一の理由とされていますが、事はそんなに単純ではないようです。ハマスの創設にはイスラエルが一役買っていたと、シェハードは説明します。ハマスの源流はムスリム同胞団という、エジプトで生まれた国際的なイスラム主義運動です。この運動を地続きのガザに持ち込んだのがアフメド・ヤシーン師で、70年代からガザを中心に医療や福祉関係の社会活動を行ってきました。1978年ガザで始まった占領に抵抗する民衆蜂起(インディファーダ)に重要な役割を果たし、ランティシらと共に政治軍事部門を備えたハマスを創設しました。それまでイスラエルと戦っていたのは、主にアラファト率いるファタハを中心とするPLO(パレスチナ解放戦線)でした。イスラエルは当初、ファタハを弱体化させるための対抗馬として積極的にヤシーンらの運動を支援し、武器も与えたとシェハードは言います。二人の創設者は相次いでイスラエルに暗殺され、他の幹部も暗殺するとイスラエルは公言してはばかりません。
このインタビューがなされたのは、イスラエル警察長官がハニヤ首相についても暗殺の可能性を示唆した翌日の5月22日でした。この時点では、ファタハとハマスは挙国一致内閣を組織していました。これは昨年末から両派の武力衝突が相次ぐ不穏な状況(背後にアメリカとイスラエルが暗躍しているとの指摘が多い)に、サウジアラビアが調停に乗り出し、5月のアラブ首脳会談で和解を成立させて分裂を回避した結果でした。アラブ側はここで足並みをそろえ、イスラエルとの和平交渉に入りたいと希望したのですが、イスラエル側は応じませんでした。数カ月のうちに、ガザで本格的な武力衝突が起こり、ファタハ治安部隊が一掃されて挙国一致内閣は崩壊しました。
欧米諸国は「イスラエルを承認しない」ハマスとは交渉できないと、あたかも承認が和平交渉の前提であるかのように言いますが、イスラエル自身もパレスチナ国家の独立を承認していないことを問題視しないのは片手落ちです。和平交渉を妨げてきたのは、いったいどちらでしょう。イスラエルがオスロ合意にそった二国家解決(イスラエルとパレスチナの分離)を本気で進めるつもりであるのなら、ハマスとファタハの対立を煽り、パレスチナを分裂させる政策はまったくの矛盾です。すでに情勢は、二国家解決に引導を渡したようです。分割の選択肢が消えてしまえば、残る選択肢はアパルトヘイトか一人一票制かしかないでしょう。(中野)
* ザキ・シェハーブ Zaki Chehab: ロンドンで発行されるアラビア語新聞『アル・ハヤット』とアラブ系TVチャンネルLBCの政治部主幹で、25年以上にわたり中東紛争を担当し、アラブ系メディアと西側メディアの両方に解説者として活躍している。最新書はInside Hamas: The Untold Story of the Militant Islamic Movement『ハマスの内幕 戦闘的イスラム主義運動の知られざる事実』。
字幕翻訳:甘糟智子 字幕編集:高田絵里
全体監修:中野真紀子