『2つのハバナを生きた男』 キューバ革命闘士マックス・レズニックの波乱万丈な人生

2007/5/7(Mon)
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24分

 男は夢見ました。「東西どちらの陣営からも縛られないキューバをつくりたい」と。そのせいで、キューバのハバナでもマイアミのリトル・ハバナでも、たいへんな人生が待っていたのです…。

 ドキュメンタリー映画The Man of Two Havanas (『2つのハバナを生きた男』)が、NYのトライベッカ映画祭で上映されました。主役のマックス・レズニックは、カストロらと親しく、一緒に革命を成功させましたが、アメリカの経済封鎖などを機にソ連に助けを求めたカストロと対立して地下にもぐり、やがてアメリカに亡命しました。しかし、CIA支援の反カストロ勢力には加わらず、キューバ政府転覆を狙った彼らのテロ活動に公然と反対したため、雑誌社を11回爆破されるなど、マイアミの亡命キューバ人たちに命を狙われ続けました。

 映画は、マックスの娘ヴィヴィアンが監督。「これは政治映画であると同時に、私と父との関係を探る私的映画でもあります」とヴィヴィアンは言います。マイアミ育ちの彼女にしてみれば、周囲はカストロを悪の根源だと信じていて、自分もそれに合わせた方が楽。でも父親は命がけでそれに対抗している。なぜそこまで? 

アメリカにいながら戦争の中で育ったと言う彼女は、父を知るにはキューバを知ろうと、この映画の製作に踏み切りました。

 「9.11以前にもアメリカにはテロがあった。それを知らない人が多すぎる」とヴィヴィアン。1976年にキューバの航空機がバルバドスで爆破され、若いフェンシングチームを含む73名が全員死亡するという事件がありました。オーランド・ボッシュ率いる亡命キューバ人による爆破計画を、CIAは察知していながら、キューバ政府には一切警告しなかったと言われています。ボッシュらはこの航空機テロで告発されましたが、フロリダ州の亡命キューバ人票を集めたい政治家たちの力で釈放。マイアミで自由の身で暮らしています。アメリカが、テロとの戦いを世界中で主張する一方で亡命キューバ人たちのテロを積極的に容認するのは矛盾だと、テロの標的であり続けたレズニック親子は訴えます。

   アメリカで生まれ育ったキューバ系アメリカ人2世たち。冷戦の当事者世代と違って「同じアメリカ人なのになぜ?」という感覚に説得力を持つ彼女らが、アメリカ社会でも発言力を増してくるとき、アメリカとキューバの間の冷戦の遺物も、少しは溶かされていくのかもしれません。                       (文:古山葉子)

* ヴィヴィアン・レズニック・ワイズマン Vivian Lesnik Weisman 映画『2つのハバナを生きた男』の監督。マックス・レズニックの娘。

* マックス・レズニック Max Lesnik カストロとキューバ革命を闘い、その後アメリカに亡命し、反カストロ勢力のテロの標的にされ続け、2つのハバナで波乱万丈な人生を歩み続けた。現在はラジオ・マイアミの記者

Credits: 

翻訳・字幕:石川麻矢子 
全体監修:古山葉子