「彼らの武器で戦っても、必ず彼らが勝つ」 創造的な平和運動をめざす"労働階級の英雄"ジョン・レノン

2005/12/8(Thu)
Video No.: 
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39分

 「イマジン」や「平和を我らに」は、世代や地域を超えて歌われる反戦運動の"聖歌"のような曲です。これほどの社会的な力を音楽に持たせることができたジョン・レノンは、どんな人物だったのか?レノン暗殺25周年の2005年12月5日に放送された番組で、彼の政治性とアメリカの反戦平和運動における影響力をみなおしてみましょう。

 ゲストは、FBIの「レノン文書」を追究し、映画「PEACE BEDアメリカVSジョン・レノン」にも資料を提供した歴史学者のジョン・ウィナー。レノンの反戦平和運動への積極的な関与が、アメリカ政府から国外退去命令を受けるまでに危険視された経緯を説明します。また、フォーク歌手ピート・シーガーが、レノンの歌がいかに大群衆を動かす飛びぬけた力を持つかを語ったテープや、ラディカルな活動家としてのジョンとヨーコについて、彼らと共闘した故アビー・ホフマンが語った貴重なインタビューも聞けます。

 レノンについて二冊の著作があるウィナー教授は、レノンの政治性とロック・スターらしからぬ積極的な平和運動への関与に注目してきました。ウィナーが長年の裁判闘争を通じて開示させたFBIによるレノン調書は、71年に渡米したジョン・レノンとオノ・ヨーコをアメリカ政府が危険視し、盗聴や尾行によって常時監視していたことを裏づけています。それほどに危険視された直接の原因は、選挙に行こうと若者に呼びかける全国反戦コンサートをレノンがアビー・ホフマンなどと共に計画し、再選を目指していたニクソン大統領に脅威を与えたからでした。レノンは、スーパー・スターとしての自分の影響力を平和運動に役立てたいと考えていました。1971年9月ニューヨーク北部のアッティカ刑務所で起った囚人蜂起が州兵によって残虐に鎮圧されたときにも、これに抗議してハーレムのアポロ劇場で開かれた抗議集会に参加して、"イマジン"を独演しました。

 このようなレノンの活動の特徴は、徹底した非暴力主義です。そのインスピレーションの源泉は妻のオノ・ヨーコだったようです。彼女と共につくりあげた数々の試みのなかでも、特にセンセーショナルで有名なのが"ベッドイン"による平和の提唱です。ベッドから出ないことで反戦を訴える、という彼らの発想は、当時ほとんど理解されませんでしたが、レノンは"ベッドイン"のメッセージをこう説明しています。「ロンドンの反戦デモは結局、暴動や乱闘を書きたてられただけだ。だから僕らは、抵抗の方法はいろいろあると人々に伝えたかった。髪を伸ばしたり 休暇を返上したりしてね。でも非暴力でやるべきだ、平和は平和的な手段でしか生まれない。体制側と彼らの武器で戦っても、必ず彼らが勝つ。何千年もその繰り返しだった。暴力は彼らの得意技だ。標的が定まれば撃ちやすい。」

 「平和を創造的に訴える」という発想は素晴らしいものであり、そこにオノ・ヨーコの存在が非常に大きかったことは、これまで軽視されてきただけに強調されてしかるべきです。ただし彼女の描くジョンは「愛と平和」とフェミニズムに終始する傾向があり、労働階級の腹の底からの怒りを辛らつなジョークに転換させるジョン・レノンの姿が、やや背後にやられてしまう感もあります。ビートルズ離脱後の最初のソロアルバムの「ワーキング・クラス・ヒーロー」を聞いてみれば、そこに彼の帰属意識と政治姿勢がはっきり見て取れるでしょう。(中野真紀子)

*ジョン・ウィナー(Jon Wiener)カリフォルニア大学アーバイン校の歴史学教授 レノンに関して二冊の著作がある。Gimme Some Truth: The John Lennon FBI Files (『FBIのジョン・レノン文書』)、『ジョン・レノンとその時代』(PMC出版1988年)。映画「レノンVS USA」に資料を提供し、出演もしている

*ピート・シーガー(Pete Seeger) フォーク歌手、政治活動家 のコラムニスト。彼の最近のコラムは「民主党を二分する弾劾問題」(英語)

*アビー・ホフマン(Abbie Hoffman) 政治活動家 Yippie (青年国際党)の共同設立者 60-70年代の若者による政治行動主義のシンボル的存在

Credits: 

翻訳字幕:佐藤真喜子
全体監修:中野真紀子