デイリーニュース

  • アヨツィナパの43人の学生失踪事件 メキシコ政府の説明を新たな報告書が否定

    2014年9月26日、アヨツィナパ教員養成大学の学生グループがメキシコ南部のゲレロ州イグアラ市で警察に襲撃されました。この夜の一連の襲撃で6人が死亡し、43人の学生が行方不明になりました。メキシコ政府は、この43人の学生は地元の麻薬ギャングによって殺され、彼らの死体は隣町コクーラのゴミ捨て場で焼却されたと主張しました。しかし、学生たちの家族はこの説明を否定し続け、「国がやった」(fue el estadoまたはit was the state)という文言はメキシコ全土と世界中での大規模な抗議行動での標語になっています。そんな中、米州人権委員会によって委任された新たな独立報告書が、メキシコ政府による学生失踪の説明を否定しました。メキシコシティにいるジャーナリストのジョン・ギブラーから話を聞きます。彼は、市、州、連邦警察が学生たちへの襲撃に積極的に参加し、少なくとも2つの襲撃場面に軍の諜報部員たちがいたことを含む、この報告書の主要な調査結果を概説してくれます。

    dailynews date: 
    2015/9/8(Tue)
    記事番号: 
    4
  • アラン・ネアン:ドナルド・トランプ、大量虐殺に関係しているインドネシアの指導者たちと会談し称賛

    共和党の大統領有望候補ドナルド・トランプは9月6日、ニューヨークのトランプタワーで記者会見を行いました。彼が第3党からの出馬はしないと明言したことについては盛んに報道されましたが、この会見に列席したインドネシアの政治的高官を含むゲストたちについてはほとんど触れられませんでした。ドナルド・トランプと会見したインドネシア人の中には、国会副議長のファドリ・ゾンもいました。彼は米国が軍事訓練したプラボウォ・スビアントの右腕です。プラボウォ将軍は、彼がインドネシアの特殊部隊のトップだった1990年代におこなった広範囲な人権侵害の責任を問われてきました。プラボウォは1998年、ジャカルタで起きた政情不安のさなかに活動家たちの誘拐と拷問に加担した容疑で軍隊から解雇されました。この政変では、数百万人の市民を殺害した長年の独裁者スハルトが追放されました。プラボウォはスハルトの娘婿でした。トランプの会談についてアラン・ネアンから話を聞きます。

    dailynews date: 
    2015/9/8(Tue)
    記事番号: 
    3
  • グアテマラ軍事寡頭政治の権力闘争 大統領候補は引き分け、民衆蜂起の次の手は?

    グアテマラで、テレビのコメディアンが大統領選の第1回投票で首位に立ちました。9月6日の投票は、グアテマラのオットー・ペレス・モリーナ大統領が汚職容疑で辞任し投獄された、わずか数日後に行われました。ペレス・モリーナ政権の元副大統領と数人の側近も投獄されました。投票延期を求める声があったにもかかわらず、当初予定されていた9月6日の投票が実行されました。コメディアンのジミー・モラレスは、約24%の得票率でしたが、圧勝に必要な50%には、はるかに及びませんでした。アルバロ・コロン元大統領の元妻サンドラ・トレスと保守派のビジネスマン、マヌエル・バルディソンが事実上引き分けで2位でした。グアテマラ市にいるアラン・ネアンに話を聞きます。彼は1980年代以来グアテマラを取材しているジャーナリストで活動家です。

    dailynews date: 
    2015/9/8(Tue)
    記事番号: 
    2
  • 1985年のグリーンピース船爆破事件を率いたフランス諜報員が沈黙を破る

    30年前の1985年、フランスの諜報機関がニュージーランドのオークランドでグリーンピースの旗艦レインボー・ウォーリアー号(Rainbow Warrior)を爆破、ポルトガル人の写真家が死亡しました。この船は、南太平洋でのフランスの核実験に抗議するために出航準備をしているところでした。この攻撃を率いたフランスの諜報員が30年の沈黙を破り、初めて公の場に出て彼の行動を謝罪しました。1985年7月10日、ジャンリュック・キステは、潜水士の一団を率いてレインボー・ウォーリアー号に爆弾をしかけて沈没させ、グリーンピースの写真家フェルナンド・ペレイラを死亡させました。ニュージーランドの国有テレビ「テレビジョン・ニュージーランド」(TVNZ)の番組「サンデー」(Sunday)は最近、北フランスにいるジャンリュック・キステを見つけ出し、事件の日に何があったかについて彼に聞きました。TVNZの報告を放送します。

    dailynews date: 
    2015/9/8(Tue)
    記事番号: 
    1
  • 『世界と私の間に』:タナハシ・コーツが語る アメリカで黒人として生きること

    トニ・モリソンはタナハシ・コーツの新著Between the World and Me(『世界と私の間に』)を「必読書」と呼びました。「ジェームズ・ボールドウィンの死後、私を苦しめてきた知的空虚感を埋めるのは誰だろうと思っていました。それは明らかにタナハシ・コーツです」とモリソンは言います。同書は15歳の息子サモリに宛てた書簡の形態をとり、子どもたちが警察の嫌がらせや残虐行為に遭遇したときの準備として、親子がしておくべき「話し合い」に例えられました。この本は回想、歴史そして分析で構成されています。7月コーツはデモクラシー・ナウ!のスタジオでこの本とボルティモアでの生い立ちについて語りました。

    dailynews date: 
    2015/9/7(Mon)
    記事番号: 
    2
  • タナハシ・コーツが語る警察の凶暴性:「暴力は新しくない、カメラが新しいのだ」

    Between the World and Me (『世界と私の間に』)の著者、タナハシ・コーツに時間いっぱいを使って話を聞きます。この新著は、米国の白人至上主義、そして黒人として米国に生きることを描いた衝撃的な一冊です。同書は、コーツの10代の息子サモリに宛てた書簡の形態をとっています。コーツは7月、故郷ボルティモアでこの本の刊行イベントを行いました。歴史的なユニオン・バプテスト教会で話しました。「我々を守るために雇われた者が、我々に致命傷を負わせることがあるー現在、全米でこのような話が繰り広げられているようです。しかし私にとって、これは昔からしてきた会話です。多くの人がそう思うはずです。新しいのはカメラというツールなのです。暴力自体は新しいものではありません」コーツは言います。

    dailynews date: 
    2015/9/7(Mon)
    記事番号: 
    1
  • シカゴのハンストが19日目に突入 ラーム・エマニュエルの公立学校民営化推進に異議

    シカゴでは、ブロンズヴィル地区で残された唯一の自由入学制(居住地区にかかわらず入学できる)の公立校であるダイエット高校を救うため、公立学校に通う児童の保護者や教育活動家のグループが始めたハンガーストライキが、19日目に突入しました。支持者によると、市当局は何年間もこの学校の管理責任を怠って放置した末に、閉校を発表しました。シカゴ市長ラーム・エマニュエルは、以前オバマ大統領の主席補佐官を務めていた人物ですが、彼の就任以来シカゴ市はアフリカ系やラティーノ住民の集中する地区で50校近くの効率学校を閉校にしてきました。批評家が言うところの「教育の民営化」推進の一環です。ハンスト決行中の人に話を聞きます。今回のハンストを企画した中心人物のひとりジトゥ・ブラウンは、ダイエット校復活をめざす団体連合に所属する「正義同盟のための旅」(Journey for Justice Alliance)の全国理事です。

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    2015/9/4(Fri)
    記事番号: 
    3
  • アラン・ネアン:グアテマラの死の部隊を支援した米国人たちも 前大統領もろとも投獄すべきだ

    グアテマラで大統領を辞したオットー・ペレス・モリナが汚職容疑で身柄を拘束されたのを受け、調査報道記者アラン・ネアンはペレス・モリナが1980年代のグアテマラ先住民の大量虐殺で果たした役割についても起訴しうる理由を考察します。1982年、大量虐殺が猖獗を極めるグアテマラで、ネアン記者は、「ティトー」と名のる軍司令官にカメラを向けてインタビューしました。この司令官がペレス・モリナだったことが後に判明しました。

    dailynews date: 
    2015/9/4(Fri)
    記事番号: 
    2
  • グアテマラの転換点:ノーベル賞受賞者リゴベルタ・メンチュウ 前大統領拘置に歓喜

    グアテマラでは、民衆の大規模デモに屈したオットー・ペレス・モリナが大統領を辞職し、わずか1時間後に汚職の罪で拘置されました。マヤ人活動家で1992年にノーベル平和賞を受賞したリゴベルタ・メンチュウに話を聞きます。彼女の訴訟によって、1700人以上ものイシル族のマヤ人の殺害に関わったとして元米支援の独裁者エフライン・リオス・モントが裁判にかけられました。メンチュウは自身の父、母、そして2人の兄をグアテマラの大量虐殺で亡くしました。その後、グアテマラの先住民を代表して行った運動でノーベル平和賞を受賞しました。現在、メンチュウは、1980年代に軍によって最悪の大量虐殺のいくつかが行われたキチェ県で兵を指揮していた容疑でペレス・モリナを裁判にかけるべきだと主張しています。

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    2015/9/4(Fri)
    記事番号: 
    1
  • カナダがマヘール・アラール拷問事件でシリア軍の大佐を告訴 米国は謝罪するか?

    拷問について政府関係者の責任を問う動きがある中で、カナダは、カナダ人技術者マヘール・アラールを拷問したとして、シリア軍のジョージ・サロウム大佐をカ告訴しました。2002年、アラールはJFK空港での乗り継ぎ中に米当局により拉致された後、祖国のシリアに送られ、そこで地下監房で拷問を受け尋問されました。アラールの拘束は一年近くに渡りました。カナダが、外国政府関係者が海外で行った行為に対し、拷問の罪で刑事責任を問うのはこれが初めてです。カナダがアラールの事件で外国政府関係者を拷問罪で起訴したことで、これからも同様の告訴が行われる可能性がでてきました。この外国関係者には米政府関係者も含まれます。2007年、アラールはカナダ政府から1000万ドルの和解金を受け取りました。米国は未だアラールに謝罪していません。マヘール・アラールの妻モニア・マージーと、アムネスティ・インターナショナル・カナダ事務局長のアレックス・ニーヴに話を聞きます。

    dailynews date: 
    2015/9/3(Thu)
    記事番号: 
    3

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