デイリーニュース

  • ポラロイド社とアパルトヘイト: 南アフリカへのボイコットや投資撤収運動の始まりの内情

    今日は 1970年代初期に、マサチューセッツ州のポラロイド社のアメリカ系アメリカ人労働者たちが、南アフリカのアパルトヘイトに抗議するダイベストメント(投資撤収)運動の開始にどのように貢献したかを見てみましょう。「ポラロイド労働者革命運動」の共同創設者、キャロライン・ハンターに話を聞きます。ハンターは、ある日自分の雇用主であったポラロイド社が、南アフリカで黒人住民が持たされていた悪名高いパスブック(身分証明書)の写真作成に使われるカメラシステムを南アフリカに供給しているという証拠に出くわしました。ハンターと亡夫のケン・ウィリアムズは、やがて同社へのボイコット運動を開始し、ボイコットとダイベストメント運動は、最終的には、ゼネラルモーターズ、バークレイズ銀行など、アパルトヘイト体制下の南アフリカで事業を行っている他社も標的にするまでに発展しました。ポラロイド社は1977年までに南アフリカから撤退しました。

    dailynews date: 
    2013/12/13(Fri)
    記事番号: 
    2
  • シーザー・チャベスの同志で労働運動指導者のエリセオ・メディーナ  移民法改革を求めた断食について語る

    共和党が過半数を占める米下院は、包括的な移民法改革を成立させることなく、2013年の会期を終了しました。12日、両党の幹部たちは新年早々にこの問題を再検討すると約束しました。一方で、この問題に対して下院が活動を欠いていることに抗議して、12日の午後、1000人を超える移民法の活動家たちが下院議員たちの事務所に押し寄せました。この活動は、移民法改革団体「家族のための断食(Fast for Families)」が、31日におよぶ断食を終えた日に合わせて行われました。「サービス従業員国際労働組合(SEIU)」の元国際事務局長のエリセオ・メディーナに話を聞きます。メディーナは最近、22日間にわたる水だけの断食を行いました。彼は13年間、労働運動指導者で公民権運動の活動家でもあったシーザー(セサール)・チャベスと活動を共にした労働運動活動家で、彼の活動家としての経験は19歳の時、ブドウ摘み労働者としてカリフォルニア州デラノで、歴史的に残る「農場労働者連合」のストに参加したのが始まりでした。

    dailynews date: 
    2013/12/13(Fri)
    記事番号: 
    1
  • マルクス主義から新自由主義へ 元活動家が語るマンデラとANCの経済思想の変換

    ヨハネスブルクより、アパルトヘイト反対運動家で、南アフリカ元諜報大臣のロニー・カスリルスが、「アフリカ民族会議」(ANC)の経済思想が、解放運動の時代とアパルトヘイト撤廃後に政権を掌握してからで、どのように変わったかを論じます。アフリカ民族会議はアパルトヘイトを撤廃しつつ内戦を避けるために、新自由主義との間に「魂を売り渡すような協定」を結ばざるを得なかったのだとカスリルスは言います。マンデラは南アフリカ共産党の一員だったという、先日の報道についても語ってもらいます。カスリルスはアフリカ民族会議の全国執行委員会の委員を20年務め、2004~08年までは南アフリカの諜報大臣でした。

    dailynews date: 
    2013/12/12(Thu)
    記事番号: 
    2
  • 地下の反アパルトヘイト運動 元活動家が語る1962年の隠れ家でのマンデラとの出会い

    ネルソン・マンデラに最後の別れを告げるために数千人が集まるヨハネスブルクより、反アパルトヘイト運動のベテラン活動家ロニー・カスリルスに話を聞きます。「アフリカ民族会議」(ANC)の武力闘争部門を設立したカスリルスは、1962年にはじめてマンデラと会って以来、緊密な協力関係にありました。カスリルスは反アパルトヘイト運動の地下活動の大物活動家で、1987~2007年まで「アフリカ民族会議」の全国執行委員会の委員でした。彼はまた、南アフリカ共産党の中央委員会にも86年12月から07年まで所属ました。アパルトヘイト撤廃後の南アフリカでは、04~08年まで諜報大臣を務めました。亡くなったスコットランド系南アフリカ人の妻エレノアも反アパルトヘイト活動家で、2011年にカスリルスが執筆したThe Unlikely Secret Agent(『意外な秘密工作員』)は彼女の人生を振り返っています。彼の自伝はArmed and Dangerous: My Undercover Struggle Against Apartheid(『武装した危険人物: アパルトヘイトに対する私の地下闘争』)です。

    dailynews date: 
    2013/12/12(Thu)
    記事番号: 
    1
  • 冬季オリンピックが近づくなか、ロシアのLGBT活動家が反ゲイ立法を非難

    開催 まで二カ月を切ったロシアのソチ冬季オリンピックに向け、世界各国から集まったゲイ権利活動家たちは、オリンピックを利用して、いわゆる「同性愛の奨励」を犯罪とするロシアの新しい法律に注目を集めさせようとしています。この法律はロシア当局は「伝統的でない性的関係についてのプロパガンダを未成年の間に広めた」と告発された者に対して罰金を科すことができるとするものであり、ゲイまたはLGBTを支持する外国人たちを拘留し国外退去させることを可能にする条項もあります。二人の有力なLGBT活動家、ロシアLGBTネットワーク幹事のアナスタシア・スミルノーヴァと、ロシアからの逃亡を宣言したばかりのジャーナリストのマーシャ・ゲッセンを迎え話を聞きます。ゲッセンはThe Man Without a Face:The Rise and Rule of Vladimir Putin(『顔のない男 ウラジーミル・プーチンの昇進と統治』)の著書で、Words Will Break Cement: The Passion of Pussy Riot(『言葉の力はセメントも砕く プッシー・ライオットの受難』) という新著も近刊が予定されています。

    dailynews date: 
    2013/12/11(Wed)
    記事番号: 
    3
  • 南アフリカのアパルトヘイトの終焉に貢献したキューバの隠れた歴史

    10日火曜日、世界中の注目を集めたオバマ大統領とキューバのラウル・カストロ国家評議会議長の歴史的な握手の傍らで、私たちはアパルトヘイトの終焉にキューバが果たした重要な役割と、カストロがネルソン・マンデラ追悼式の演説に招かれた世界的指導者5人のうちの一人であった理由を振り返ってみたいと思います。マンデラの言葉によると、キューバは「白人圧制者の不敗神話を打ち砕いた。 ... そして南アフリカの民衆に闘争心を抱かせ」ました。歴史家のピエロ・グレイジェセスは、キューバが1988年にアンゴラで[アンゴラ人民解放運動を支援して]勝利したことが、[ナミビアを実効支配してアパルトヘイト政策を施行していた]南アフリカ政府のナミビア撤退と解放につながり、南アフリカのアパルトヘイト体制の屋台骨をくじくことになったと論じます。グレイセスの新著、Visions of Freedom: Havana, Washington, Pretoria, and the Struggle for Southern Africa, 1976-1991(『自由への展望: ハバナ、ワシントン、プレトリアと南部アフリカの闘争 1976-1991年』)について話を聞き、マンデラとカストロのキューバでの会合の記録映像を流します。

    dailynews date: 
    2013/12/11(Wed)
    記事番号: 
    1
  • ALECの「組織的汚職」 アパルトヘイト支援からクリーンエネルギー、公共部門への襲撃

    秘密主義の団体ALEC(米国立法交流評議会)は、ワシントンでの一週間におよぶ会議を終えたところです。ワシントンで企業ロビイストたちが州議員とともに取り組んだモデル法案は、後に全国規模で導入されることになります。伝えられるところでは、ALECは多数の新しい法案を起草して、オバマ大統領の排気ガス削減を阻止し、クリーンエネルギー促進の州政策を弱めようとしています。全米各地の保守派のグループは、公共部門の権利やサービスを、教育、医療、所得税や労働者の待遇などの重要項目において攻撃するため、6つの州で連携して募金をする準備をしています。この提案は、ALECが支援する SPN (State Policy Network:州政策ネットワーク)によって作られました。SPNは州レベルの保守派の戦略を画策する機能を持つ連合体です。ALECはフロリダのスタンド・ユア・グラウンド(正当防衛)法に肩入れしたことで大勢の支援者に逃げられてしまい、支援者を取り戻すことに懸命です。ガーディアン紙によると、ALECはこの2年で400人の州議会議員と60社の主要な法人の寄贈者を失いました。

    dailynews date: 
    2013/12/11(Wed)
    記事番号: 
    1
  • 詩人のマヤ・アンジェロウがネルソン・マンデラを追悼「涙声を張り上げて『ありがとう』と言おう」

    ネルソン・マンデラの追悼式の特別放送を、著名な詩人で作家のマヤ・アンジェロウ博士が彼の思い出を讃えて届けてくれた映像メッセージで締めくくります。二人は、マンデラが投獄される前の1962年に初めて出会いました。「マンデラは役目を終えました」と、アンジェロウは言います。「それでも彼の意思を継ぐ私たちは、和解のために扉をより大きく開けるでしょう。そして我々は、この地球の底辺で這いつくばって暮らしている、黒人、白人、アジア人、ヒスパニック、貧者たちの叫びに対して寛大な心で接するでしょう」。

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    2013/12/10(Tue)
    記事番号: 
    6
  • 「汎アフリカ主義の英雄」:アフリカ連合委員会の女性委員長が振り返るネルソン・マンデラ

    アフリカ連合委員会初の女性首脳であるヌコサザナ・ドラミニ=ズマ委員長は、ネルソン・マンデラの追悼式で演説を行いました。彼女は反アパルトヘイトの元活動家で、マンデラ大統領政権で1994年から1999年まで南アフリカの保健相を務めました。彼女はマンデラが、独立を求める、より広範な汎アフリカ主義の闘いにいかに貢献したかを振り返りました。「彼がアフリカ大陸のどこへ行こうと、扉が開かれました。彼は軍事訓練を受け、闘いのための支援を得ました」と、彼女は述べました。

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    2013/12/10(Tue)
    記事番号: 
    5
  • デスモンド・ツツのネルソン・マンデラへの生き生きとした追悼「彼は我々に素晴らしいギフトをくれた」

    元ケープタウン大主教でノーベル平和賞受賞のデスモンド・ツツは12月10日のネルソン・マンデラの追悼式に出席しましたが、演説はしませんでした。しかし彼は12月9日の夜、彼の親友であるマンデラに敬意を払い、活気に満ちた追悼の辞を述べました。ツツはアパルトヘイト撤廃後、南アフリカの真実和解委員会の委員長を務めました。彼は現在82歳です。ツツが演説を行ったヨハネスブルグでの親しい人々による小さな会は、ネルソン・マンデラ財団によって主催されました。

    dailynews date: 
    2013/12/10(Tue)
    記事番号: 
    4

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