デイリーニュース

  • 「広場を占拠せよ」:スペインで、失業、予算削減へのいらだちで市民運動が激化

    経済的機会の改善、代議制をよりよくいかす選挙制度、政治汚職の根絶を求めて、スペイン全土で数万人がデモを繰り広げています。この民主化推進デモは、5月15日に変革を要求する市民がマドリードの中央広場に集まったことに端を発しています、この新しい運動は、「トマ・ラ・プラサ(広場を占拠せよ)運動」と呼ばれています。5月第3週、抗議運動はスペイン全土、10以上の都市に広がりました。同国の失業率は欧州内で最高で、30歳未満の人口の約半分は失業中です。各地で独自に展開しているこの運動では、食料、燃料、そしてコンピューターにいたるまで寄付によってまかなわれています。毎日の集会では全員による投票で民主的に決定が行われ、現地の委員会は、清掃作業から法務問題にいたるまで、さまざまな任務を割り当てられます。マドリードにいる独立系ジャーナリストのマリア・キャリオンと、運動を代表してイバン・マルティノスに話を聞きます。

    dailynews date: 
    2011/5/26(Thu)
    記事番号: 
    3
  • ビル・マッキベン: 大嵐から干ばつまで 人間が原因の気候変動とつながる壊滅的な気象異変

    2011年はすでに、1953年以来、竜巻によりもっとも多くの死者を出した年になり、500人以上が死亡しています。異常気象は世界各地でニュースとなり、コロンビア、ベトナム、パキスタン、オーストラリアで超大型の洪水が起きただけでなく、アマゾンでは、過去5年間に、100年に1度の干ばつに、2度も直面しました。ニュースの視聴者たちは、テレビ画面にますます頻繁に出される「厳しい天候」という警告を目にしていますが、気候変動の進行に人間が果たしている役割と関連づけることは、あまりありません。環境保護運動家で草の根気候変動キャンペーン「350.org」の創設者、ビル・マッキベンに話を聞きます。「我々は、地球をより変動が激しく暴力的な場所にしています。地球温暖化とは、つまり、そういうことです」とマッキベンは語ります。

    dailynews date: 
    2011/5/26(Thu)
    記事番号: 
    2
  • バーモント州、シングルペイヤー方式の医療保険を制定する初の州へ

    バーモント州は、26日、ピーター・シャムリン知事が医療保険改革案に署名することで、シングルペイヤー方式の州民皆保険を提供する全米初の州として歴史的に名を残すことになります。Patient Protection and Affordable Care Act(患者保護および医療費負担適正化法)とよばれるバーモント州の法案は、高騰する医療費をおさえ、皆保険の提供をめざすものです。Vermont Health Care for All(バーモント全員への医療)の会長、デブ・リクター医師に話を聞きます。同医師は、バーモント州でシングルペイヤー方式の皆保険を支援・推進するために、1999年にニューヨーク州のバッファローからバーモント州に移り住みました。シャムリン知事は、彼女を、民主党主導の州議会を説得し、この春、同法案を通過させるのに一役買った「後ろ盾」と呼んでいます。

    dailynews date: 
    2011/5/26(Thu)
    記事番号: 
    1
  • 『帝国の収穫』:新刊書が明かす米国ラティーノの歴史とラティーノ票獲得へ動くオバマ

    オバマ大統領のプエルトリコ訪問の発表はちょうど彼が2012年の大統領選挙でラティーノ票を勝ち取るために大掛かりなキャンペーンを始めた時期に重なります。5月10日、オバマはテキサス州エルパソでラティーノの聴衆が大半を占める中、移民制度改革を呼びかける重要演説を行いました。フアン・ゴンザレスとともに米国に暮らすラティーノの歴史を話し合い、それがいかにラテンアメリカでの米国の政治的および軍事的介入に関係しているかを考えます。デモクラシー・ナウ!の共同ホストで、ニューヨーク・デイリー・ニューズ紙のコラムニストであるゴンザレスはHarvest of Empire: A History of Latinos in America(『帝国の収穫:米国のラティーノの歴史』)の最新版を出版したばかりです。2000年に第1版が出たこの本はメキシコやキューバ、プエルトリコ、ドミニカ共和国、ニカラグアそしてその他周辺地域から来たラティーノたちの物語を検証しています。この本を基にした新しいドキュメンタリー映画も制作されており、そこからもいくつかクリップを放送します。

    dailynews date: 
    2011/5/25(Wed)
    記事番号: 
    4
  • オバマがプエルトリコへ 1961年以来初の米大統領訪問

    オバマ大統領が6月のプエルトリコ訪問を発表しました。2008年の大統領選挙の際の公約を果たすとともに、これはジョン・F・ケネディが50年前に同島に訪れて以来初の米国大統領の訪問となります。大統領の特別専門委員会は最近、米国は自治領であるプエルトリコの米国内での地位問題を2012年までに解決すべきであるとの提言を行いました。「同島に住む400万人のすべてと、また、ここ米国に住むプエルトリコ人も、米国民です。しかし彼らは、独自の言語と文化と歴史を持つ、残りの米国領土からまったく切り離された離れた領土に居住しています」と、プエルトリコに関する著書Harvest of Empire: A History of Latinos in America(『帝国の収穫:米国のラティーノの歴史』)の改訂版を出したばかりのフアン・ゴンザレスは指摘しています。「このアイデンティティーの問題は、実際はいまも続く植民地問題の反映なのです。プエルトリコは米国最後の主要な植民地であり、世界にいまも残る植民地の最後の1つでもあるのです」

    dailynews date: 
    2011/5/25(Wed)
    記事番号: 
    3
  • 「ネタニヤフこそが和平への中心的障害」:コードピンク活動家が議会でのイスラエル首相演説を妨害

    イスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフの演説は米議会の民主・共和両党議員から温かく迎えられました。ABCニュースによると、演説中に29回 のスタンディング・オベーションがあったようです。これは2011年初頭のオバマ大統領の一般教書演説より4回多いことになります。もっとも、24日の議会ホールには異議を唱 える声も少なくとも1度響きました。ネタニヤフの演説を遮ったのは平和団体コードピンクのイスラエル出身ユダヤ系アメリカ人活動家レイ・アビリーアで、 議会傍聴席で立ち上がって「もう占領はやめろ! イスラエルの戦争犯罪をやめろ! パレスチナ人にも同等の権利を! 占領は弁解できない (indefensible)!」と叫んだのです。彼女が叫んだことで傍聴席の他の観衆が彼女を押し倒し、それから私服の警備要員が彼女を外に引きずり出しました。これ で頸部と肩にけがをした彼女はジョージ・ワシントン大学病院に搬送されて治療を受けました。その病院でアビリーアは議会混乱の紊乱行為で警察に逮捕・告発 されました。彼女の抗議はコードピンクが組織した1週間にわたる「Move Over AIPAC(そこ退けアメリカ・イスラエル公共問題委員会)」という活動の一環です。アビリーアに、彼女がなぜ非暴力の市民的不服従を使ってネタニヤフ演 説を邪魔したのか聞きましょう。

    dailynews date: 
    2011/5/25(Wed)
    記事番号: 
    2
  • ネタニヤフが米議会で演説 公正な中東和平に向けたパレスチナ人の希望を打ち砕く

    24日に行われた米上下両院合同議会でのイスラエル首相ベンジャミン・ネタニヤフの演説をみると、イスラエル・パレスチナ間の交渉の今後の成り行きは不確かなままです。ネタニヤフはエルサレムの分割は認めないとし、国際的に認知された1967年時点のイスラエル・パレスチナ境界線では「国家防衛が不可能(indefensible)」だと主張しました。彼はまた、イスラエルは「ヨルダン川沿岸地帯に長期の軍事駐留を維持」しなくてはならないと述べ、ファタハとハマスの最近の和解を非難しました。ネタニヤフのこの演説は、オバマ大統領が1967年境界線に基づくパレスチナ国家の設立と、イスラエルとの相互の合意に基づく領土交換を支持すると呼びかけてから5日後のことです。パレスチナ・ナショナル・イニシアティブ(Palestinian National Initiative)の事務局長ムスタファ・バルグーティに話を聞きます。「ネタニヤフは昨日、二国家共存の解決策に向けての交渉のすべての可能性を閉ざしてしまった」とバルグーティは言います。「事実上、平和的解決のすべての可能性を奪ったと言ってもよい。なぜなら彼はすべての問題で一方的に現状を押し付け、我々にアパルトヘイトのような人種隔離システムの中で奴隷として生きることを求めているからだ」

    dailynews date: 
    2011/5/25(Wed)
    記事番号: 
    1
  • 伝説的ボブ・ディランが70歳に:デモクラシー・ナウ!がパシフィカ・ラジオのアーカイブから貴重なインタビューを放送

    ボブ・ディランが70歳を迎える5月24日、彼の人生と音楽についての特別番組を放送します。ディランは1941年5月24日、ロバート・アレン・ジマーマンとしてミネソタ州ダルースに生まれました。ミネソタ州ヒビングで育った彼は、1961年1月にグリニッジ・ビレッジに移りました。それから数年の間にディランは「風に吹かれて」「時代は変る」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「戦争の親玉」「廃墟の街」「ミスター・タンブリン・マン」など60年代の最も有名な曲のいくつかを作り、時代の声として多くの人々に認識されるようになりました。ニューヨークのフォークシーンから登場したディランはその後、ロックからカントリー、ブルースまで多くの他のジャンルを追求しました。彼は今でもツアーを続けています。ピュリツァー賞審査員は2008年、「卓越した詩の力の作詞に特徴付けられる、彼のポピュラー音楽とアメリカ文化への多大なる影響」に対して特別賞を授与しました。しかし、ディランは音楽界のスターになる以前は、自分の音楽を聴いてもらおうとしているニューヨークの無数の若いミュージシャンの一人にすぎませんでした。彼の初期のラジオ出演にパシフィカラジオ局WBAIがあります。ディランに何度もインタビューしたWBAIの伝説的なDJで「名付けえぬラジオ」(Radio Unnamable)という番組の司会者ボブ・ファスに話を聞きます。

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    2011/5/24(Tue)
    記事番号: 
    1
  • 炭坑めぐる闘いは「民主主義の闘い」:ロバート・ケネディ・ジュニアが新作映画を語る

    環境活動家のロバート・ケネディ・ジュニア、そして映画制作者のビル・ヘイニーに、今年のサンダンス映画祭で上映された新作ドキュメンタリー作品「The Last Mountain(最後の山)」の話を聞きました。映画ではアパラチアの炭坑を巡る闘いや、マッセイ・エナジー社の山頂除去のための信じがたい行動の歴史を描いています。「彼らはこうしたことをするために法を破らなければいけません。法を犯さずに市場で生き残ることはできないのです。労働法、保健法、安全法を違反するのです。さらに彼ら自身による記録によると、これまでに環境法令のうちの1つを違反した回数は、6万7千回に上るとのことです」ケネディは、マッセイ・エナジー社という州・連邦レベルで多大な政治的影響力をもつ炭鉱大手に関して、このように述べています。「環境破壊だけではなく、民主主義がくつがえされる危険性があることが問題になっているのです」

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    2011/5/23(Mon)
    記事番号: 
    2
  • 29人死亡の炭坑爆発事故、マッセイ・エナジー社に責任 州独立調査

    2010年4月に発生し29人の炭坑労働者の命を奪った爆発事故について、ウエストバージニア州政府による独立調査は、マッセイ・エナジー社に責任があると結論づけました。これは、マッセイ社が爆発のリスクを減らすための空調装置と炭坑のほこりの扱いに関する連邦規則を繰り返し違反していたとする、連邦捜査官が今年前半に発表した予備調査とも一致し、炭坑の穴から噴出したガスが原因だとするマッセイ社の主張を退けました。また報告書は、マッセイ社が強い政治的影響力を行使して、「ウエストバージニア州の政治システム」や規制当局を「支配しようとしている」ことについても指摘しています。この調査を監督した米連邦政府炭坑安全当局の元責任者のデヴィット・マクアティアに話を聞きました。

    dailynews date: 
    2011/5/23(Mon)
    記事番号: 
    1

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