ロシア

BRICSと呼ばれるブラジル・ロシア・インド・中国・南アの5カ国が今年7月、ブラジルのフォルタレザで首脳会議を開き、新たな開発銀行の設立を発表しました。世界の人口の4割、GDPの25%を占める巨大グループが、先進国にたよらない自前の開発銀行を創設したことは大きな話題となりました。元世銀主任エコノミストのジョセフ・スティグリッツに、この動きの重要性について聞きます。(13分)
プーチンは米国にとって本当に手ごわい相手ですが、これまでの経緯をみてくると、プーチンは必ずしも欧米に敵対的ではなかったのに、米国の愚かな行動が追い詰めたことが見えてきます。今回はさらに遡って、プーチン登場の背景となるソ連後のロシアと米国の関係を確認してみましょう。ソ連が消滅した後の無秩序で略奪的な自由主義経済への移行についてはナオミ・クラインの『ショックドクトリン』でも詳しく述べられていますが、ここではロシア問題の大家スティーブン・コーエン教授に聞きます。少し前のインタビューですが、現在の米ロ対立がどのようにして起きてきたのかを理解するには欠かせません。(
欧州委員会が発表した2014年の報告書によると、EU27加盟国が2006-2011年に消費した天然ガスの約6割、原油の約8割が 輸入に依存していました。EUが輸入する原油ガスの3割以上がロシアからだと言われます。このような依存体質の改善策として推進されたのが輸送の多角化でした。アゼルバイジャンからトルコを経由して、欧州に原油を輸送するBTCパイプラインもそのひとつです。コーカサス地方におけるパイプライン建設は、ロシアの影響力の拡大を警戒する沿岸諸国と欧米の利害が一致した政治戦略だとマリオットは言います。(40分)
ウクライナ危機をめぐっては、米国とロシアが互いに相手側の干渉をなじって議論はまったくの平行線です。3月初めに行われた番組討論会は、その典型的なものです。ロシア軍が海軍基地のあるバラクラバを制圧し、クリミアからは一歩も引かない構えを示してから一気に緊張が高まりました。(35分)
ウクライナ危機の打開をめざして4月17日ジュネーブで開かれた4者協議で、ウクライナ、ロシア、EU、米国は緊張緩和に向けた一致点をなんとか見出したようですが、合意の履行をめぐって紛糾が続いています。新たな冷戦の様相を呈してきたウクライナ危機をめぐる対立について、ふたたびコーエン教授の話を聞きます。前回の出演からわずか2カ月のうちに、コーエン教授が危惧したことの多くが現実となりました。わずかな期間に急展開した現在の状況は、キューバ危機以来の危険な状況です。(19分)
2014年2月、ウクライナのヤヌコビッチ政権が崩壊しました。前年11月、ヤヌコビッチ大統領は欧州連合(EU)との貿易協定を撤回し、EUと関係を深めたい親欧派による抗議デモが勃発しました。当初は市民による呼びかけだったデモは、たちまち数万人規模のデモになり、武装したデモ隊と治安部隊の衝突が頻発するようになります。2月20日、衝突は死者90人以上を出す大惨事となり、ヤヌコビッチ政権は崩壊しました。反体制デモの中心となった野党勢力には「自由(スヴォボダ)」などのネオナチ・右翼勢力も含まれており、この急進的な勢力が暴徒化したと言われています。(23分)
2008年8月、グルジア共和国で分離独立を主張する南オセチア自治州に政府軍が攻撃をしかけたことをきっかけに、ロシア軍がグルジアに侵攻し、双方の無差別攻撃により多数の民間人死傷者が出ました。南オセチアとアブアジアの2州は独立を宣言し、ロシアがこれを承認し国交を樹立すると、グルジアを支援する米国とロシアのあいだで緊張が高まり、グルジアのNATO加盟に向けた動きが加速しました。米国のエネルギー関連地政学の専門家マイケル・クレアは、この軍事衝突は、カスピ海地域の広大な埋蔵石油・天然ガスへのアクセスをめぐるエネルギー戦争なのだと言います。(16分)
 2007年4月23日、前ロシア大統領ボリス・エリツィンが76歳で亡くなりました。彼はゴルバチョフの後継者として、1991年ソビエト崩壊後のロシアで初めての民主的な選挙で選ばれた初代大統領に就任しました。民主化のリーダーとして、当時西側のマスコミは彼を大いに持ち上げたものです。その後エリツィンの統治の下で、ロシアは共産主義体制から民主主義市場経済への転換を、大混乱の中で遂行しました。ブッシュ大統領やブレア首相ら西側の首脳たちから寄せられた弔辞は、「自由の基礎を築いた」「民主化と経済改革を大胆に進めた」とエリツィンの功績を賞賛していますが、はたしてどのような功績だったのか。(10分)